自己中心性と他者

結論とその困難さ

聖書や哲学書という存在が、人類が「人間」というテーマを長らく思索してきた痕跡を教えてくれる。しかし現在においても「人間は人間を十分に理解できるようになった」というには程遠い状態だと感じている。読者はきっと、そのような分厚い書を読み耽りながら堀越二郎のように「私はいかに生きるべきか?」という問いについて考えることがあるかもしれない。繰り返し議論されてもなお結論の出ない「人間とは何か?」という抽象的な問いを、読者は「私とは何か?」という具体的な問いに差し替える。私はというと、前回のブログを読んでくれた方はわかるように、「あなたとは何か?」という問いに強い関心を持っている。同じ「人」を扱う問いにも関わらず、「人間とは何か?」と「私とは何か?」という問いが異なるように、「私とは何か」と「あなたとは何か?」という問いもまた別の問題なのである。

これから書く話は、限りなく具体的だが体系化することのできない「他者」についてである。「命日」では初めて作詩のようなことをしたが、私が経験した人生を超えるほど大切だと感じたものについて書いたつもりである。そして、前回の記事では、私にとっての、そのようなものは広義の「他者」の中にあるのではないかということを書いた。今回の記事では、「他者」のうちでも「人」という他律的なプロセスに身を委ねることによって直観的にわからないものにアプローチすることができるのではないかという仮説をたてて、色々なことを調べ考えてみたことを執筆してみる。

お題目は、他者が私に影響を与え、私もまた他者に影響を与え、それを繰り返しながら何かを生み出していくダイナミクスについて考えるという行為そのものを射程してみるということであり、ありふれた日常そのものを題材にしているが、あくまでも客体は他者であり、私ではない。冒頭で触れたように、「私とは何か」と「あなたとは何か?」という問いは別の問題なのだ。「あなたとは何か?」という問いに対して「私とは何か?」というアプローチを採用した場合、外部性について考えるときに直面する障壁のように、多くを取りこぼしてしまいかねない掬い取れなさという問題に直面する。「私とは何か?」という設問ならばいくらか楽かもしれないが、「あなたとは何か?」という設問に対して、上述の説を実践していく過程は、真っ暗な宇宙のどこかにいる小さな黒猫を手探りで探し出すような途方もない仕事のような気がしている。明晰さを得るには、おそらく数百年あるいは数万年の時間があっても足りないのかもしれないと感じるほどだ。
アプローチ方法以外にも困難さはある。私は馬鹿なので、考えることも認知できることも、私以上でも以下でもなく加えることも引くこともできないという点において、不完全な私自身の産物でしかないということは少なくとも理解しているつもりだ。そして、言葉には限度があるということを薄々感じている。スーザン・ソンタグは著書「キャンプについてのノート」において、説明しようとすればそれにまるごと裏切られるような名状しがたい感覚というもの、つまりキャンプに関して思索を行った。キャンプとは、例えば、ベン・ラーナーとはそういう作家だし、OMSBとはそういう歌手だし、私たちは納豆ご飯だと思って納豆ご飯を食べ、あなたの性格が好きだとか、気持ちがわかるとか、そういう感覚だ。「納豆ご飯は腐臭がして少し甘くて醤油をかけるとまろやかになる」といった一定の解釈や法則を当てはめる行為は、納豆の味が伝わってこないように、おそらく言葉では伝えきれない多くのことを意図せずにそぎ落としてしまっている。なので、そうした掬い取れなさ問題に直面した時に言葉自体の頼りなさを痛感して何もかもがわからないという気持ちになることがあるが、今の私には言葉を活用しなければ、他者について思考を深めることもままならないので、そういう意味でも難しい。例えば、風立ちぬを見た人が「二郎あるいは菜緒子は自分勝手だ」という感想を持つこともあるだろう。しかし、そのような視聴者自身の経験則によって彼と彼女の個別性を分析するというアプローチを採用した場合、前述した通り、また後述するヴェイユの「想像」でも触れるが、わかった気になったという満足感しか得られないように思う。二郎の行いについて、自己の想像によって「わからなさ」を補ったり、無闇に意味を与えすぎたりすることは、上述のキャンプの例と同様に客体に対する認識を歪めてしまうからだ。インフルエンサーが自殺したことについて、自殺寸前になるまでインフルエンサーとして追い詰められないことにはわからない一方で、わかったつもりになって、インフルエンサーに好き勝手誹謗中傷することだったり、会社のトラブルメーカーについて愚痴をこぼす営業に、総務部が「私は仲良くしてるよ」と言っているのに対して、営業が「一緒に働いてみればわかるよ」と言う感想を抱いたりするなど、対象に肉薄した当事者としての経験的な感覚は、外部と大きな隔たりによって区別されなければならないように思う。

そのように考えていくと「人のことを考える」という行為は、より一層難しく感じてくるが、それでも、ありのまま(完全性)をわかろうと注意する姿勢を持つよう心がけてみたいと思っている。そうした考えを突き詰めて、このような結論を設定してみた。

「大切なものを大切にするということは、他者に寄り添い、寄り添うだけでなく大局的に役に立つということ。つまり、自己充足ではなく、自己放棄の基準に倣いゆくことだと考えた。趣味を楽しんだりするように、気持ちを調整・制御する行為は別として、空白になった自己に代わって、生の根幹に広義の他者(参照:タイトル思いつかんけど学習してる)を実在的に(堀越二郎や菜穂子のように個別性を認識しつつも、完ぺきではないにしても想像力を働かせずに)投影させることができるならば、他者に対する犠牲や献身は何よりもまず行為客体自体にとってのたとえば自由を形成することができ、自己は確かに、リアルに自覚される。」

上述の結論と困難さを実践しようとすれば、行為客体の思考に現れる知覚や感情を通して把握されたものを思考に投影することを経ることによる手段以外では、「命日」で表現した「献身」は今回のテーマにとって無意味なものになる。つまり、道端に落ちている石ころのように断片的すぎる情報か、堀越二郎のような自己の充足(エゴ)でしかない。もっとかみ砕いていえば、上記の投影を経るということが、資本(資金、時間、精神...)を特定の対象に投下するという行為にはじめて意味を与えるのであり、一方で資本を単に投下する行為、例えば家族のために金を使うといった行為は、堀越二郎の「あなた、生きて」という二郎による二郎のための想像力に収斂されてしまう。風立ちぬの本庄曰く「シベリアの偽善」なのである。

まだ多くのことを実践できていない段階なので、これから修正を加えていく考えも多いだろうが、まずは上述の前提で、今回のテーマにとってとりわけ重要と思われるトピックとして、「他者が射程に入れたこと、彼方で起きてほしいと願った出来事をハックする方法」について考えてみたいと思う。

 

突発的な怒り
手始めに上述の結論で記載した「自己充足」について考えてみる。風立ちぬ堀越二郎は、上司の黒川から「君のは愛情ではなくエゴイズムではないのか」と指摘された。仮に二郎は内発的な動機付けで仕事、結婚、日々の営みをこなしているにすぎないのだとしたら、黒川のいう通り、二郎の行動に自己充足以上の意味を探し出すことは難しい。そうしたことを考えるために、エゴと愛情の間について揺れた現実のサンプルを参考にしたいとネット検索したところ、この事件に行きついた。加害者のことを考えてみても、被害者のことを考えてみても、ただ底なしに悲しい事件である。

1997年5月、奈良県にある月ヶ瀬村で、下校途中の中学2年生の女子生徒が行方不明となり、2か月後に同じ村に住む25歳の丘崎さんは逮捕された。その後しばらくして、伊賀上野市の郊外で白骨化した遺体が発見された。翌年奈良地裁は、丘崎さんに対して懲役18年の1審判決、しかし検察側がこれを不服として控訴。2年後に大阪高裁により無期懲役が言い渡された。弁護士は丘崎さんに対して上告をすすめたが彼はこれを拒否し、無期懲役が確定。2001年9月、彼は大分刑務所の独房で首をくくった。
当時の新聞を読むと、いたずら目的の誘拐殺人ではないかという見方が強かったようだ。一方で、新調45、彼の弁護団であった高野弁護士が執筆した記事に目を通すと、事件の別の一面を垣間見ることができる。青年の家族は、月ヶ瀬村に越してきてから事件までの約30年間「村入り」が認められることはなかった。被害者の祖父の手配によって、一家は村はずれの傾斜地にあるあばら屋に住み始めた。家賃は月1万円程度、冬には隙間風、室内にはネズミが走り回り、トイレはなかった。彼の弁護団の一人である高野弁護士によれば、一家の生計は両親の土木工事や日雇いによってたてられていて、極貧であった。両親はともに日本人と朝鮮人のハーフであり、内縁関係で不仲であり、父には愛人がおり、母は金だけを丘崎さんら子どもに与え、家にいることは少なかった。長女が料理し、それぞれが都合のいい時間に食事をとったという。

彼が小学三年生のころ、公民館で放火事件が起こった。そこで、丘崎さんが村人から疑われたのが事の発端だったのかもしれない。その事件によって、同級生の親の中には、彼とは付き合わないようにと子どもたちに言い始めるものもいた。それ以来、彼が河原で遊んでいるときには集落に住む人から石を投げられたり、地域の祭りのときに現金が紛失したり、ビニールハウスが燃えたりしたときに、その場にいなくても真っ先に彼が疑われてからというものの、誰とも遊ばずに家にいることが多くなった。中学2年生になってからはほとんど学校に行くことはなくなり、学校に行ったとしてもぽつんと一人で時間をつぶしており、友達はいなかった。卒業証書は同級生が自宅まで届けてくれたが、彼は翌日破り捨てて燃やした。私には想像の絶する思いだったのだろうと思う。想像力を働かせて、近しい経験を探してみても、彼に比べれば取るに足らない経験しかない。裁判で、地区住民と学校の先生は「そのような差別はなかった」と否定している。一方で、新潮社によるインタビューで村人の老人はこう答えている。「村の人間は、あの家族を明らかに見下しとるよ。年寄りが多いからどうしても古い体質がある。現に私自身も村の人間が、「朝鮮が!」って吐き捨てて蔑むのを見とるしね。」。
彼は中学卒業後に就職した。測量事務所、土木作業員、警備員、左官、飲食店など転々して落ち着きがない様子であったが、ドライブだけは大好きだった。数少ない心安らぐ時間だったのだろうか。お気に入りのドリカムやチャゲ&飛鳥を何度も流しながら車を乗り回していた。事件の二か月前にかった四輪駆動車の走行距離は、事件後に売却されるまでの間に5,300キロ走っていたという記録がある。

事件の記録によれば、5月2日彼は滋賀県内のソープに行き、5月3日の午前中に月ヶ瀬村に戻る途中で仮眠した。起床し、楽しい気持ちで車を運転していたところ、帰宅途中の被害者が歩いているのを見つけた。彼の供述によれば、被害者が小学生の頃はよく車に乗せることがあったし、自宅まではまだ距離があるから、家まで送ってあげようという気持ちが生じたという。しかし「家に送ってあげるから乗るか?」という彼の声掛けはむなしく、被害者は彼をちらっと見ただけで返事もせずに歩き続けた。幼いころには彼の車に乗り込んできた被害者が、ある時から他の地区住民と同様に彼をよそ者として見るようになった。彼は「俺をよそ者やと思ってるから無視しよる。返事もしやがらん。村の者は俺を嫌っている。この女も一緒や。」と思った。そうした落差に激昂し、パニックになった。時速30キロで被害者に近づき、衝突した。彼は、道に倒れた被害者に駆け寄り、被害者が荒い息をしていたので病院に連れて行こうとも考えたが、高野弁護士によれば「自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく、家族までが村に住めなくなる。」と考え、伊賀上野郊外の山中でビニールテープを使って絞殺しようとしたがうまくいかず、トイレ付近に転がっていた石で数回被害者の頭部を打ち付け絶命させたう上で、三重県上野市の山中に死体を遺棄した。その後彼は逮捕され、自白。彼は、自身や家族への差別があったことを供述しているが、刑事責任を軽くするための弁解や責任転嫁を弁護士に提案されても拒否し、検察の犯行動機に係る質疑に対して、自己を正当化しようという試みはなく、ただ心境を述べるのみであった。

2001年9月19日京都新聞奈良県月ケ瀬村の女子中学生殺害で、殺人などの罪で無期懲役が確定、大分刑務所で服役中の丘崎誠人受刑者(29)が自殺していたことが十九日、分かった。法務省矯正局によると、今月四日午後八時ごろ、丘崎受刑者が自分のランニングシャツを独居房の窓枠にかけて首をつっているのを巡回中の刑務官が発見し た。病院に運ばれたが、意識不明の状態が続き八日未明に死亡が確認された。遺書はなかった。刑務官の巡回は十五分に一回で、当時は就寝前の自由時間だった。」と報じられた。享年29歳。彼が自殺した19日は、被害者の月命日でもあった。

 

欠乏と占有
彼がどうして犯行に至ったのかについて、開発経済学に多大な貢献を残したSendhil Mullainathan(Chicago Booth)の考案したアプローチを通して検討してみる。ムッライナタンの研究成果は膨大であり、喫煙、運転免許取得、貧困等々多岐にわたるトピックを取り扱っているが、一貫して、金、時間、人間関係を資本として扱い、資本の欠乏が行為客体にどのような影響を与えるのかについて検討された成果物が多い。

私が読んだいくつかの文献において、ムッライナタンはことあるたびに「欠乏は人に多くの誤りをもたらすこと」を主張している。上述のわかった気になるという姿勢も欠乏が由来しているのではないだろうか。

欠乏とは、例えば、あなたが遅刻しそうな状況を想像してほしい。ベッドから飛び起き、洗面所に直行する。顔を洗いながら、歯ブラシは今日はよしておこうか、着替えはどうしようかなど同時並列的に試行しながらも手を動かし続けし最短時間で家を出るよう努めるだろう。頭の中で秒針の音が鳴っているのを感じながら、1分1秒に集中するはずだ。そういう状況では、心ここにあらずの状態になり、親から「宿題やったの?」と聞かれれば無視をするか、「後でやる」と答え、親の心配について熟慮することはない。ほかの例を考えてみよう、極めて多忙な人を遊びに誘った時に、誘われた人はどのように考えるだろうか。おそらく彼は、まずスケジュールが空いているかどうかを確認するだろう。それ自体は変わった行動ではないように思えるが、問題なのは、彼にとってその誘いが重要であるかどうかは後回しであり(考えないかもしれない)、主要な懸念事項は、時間があるのかないのかであるという点である。一方でお金がない人は、今月生活にいくらかかるだろうという計算を100円単位で行っているかもしれない。そのようなお金がない人を遊びに誘った時に、お金がない人にとって最も重要な問いは、誘いに使うお金があるかどうかであり、どうようにその資金使途が重要かどうかは後回しになる(もしくは考えすらしない)。先の事例の丘崎さんのように、人付き合いやコミュニケーション能力が劣っていると感じている人は、対人で緊張してしゃべることができなくなってしまったり、些細なことで感情が揺れ動いたりしてしまうのも同じように解釈することができる。堀越二郎にとっての菜緒子が自身の夢の拡充であったのと同様に、欠乏状態に陥っている人は、無意識にミリ秒円単位で物事を考える必要が生じてしまうので、中長期的な視野で判断することが億劫になってしまう。必要なことに、時間、お金、精神を自由に投下することが困難になるのだ。

ここでは、単純に細かな計算をしなければならない状態を欠乏と呼ぶとして、100円を使うべきか使わないべきかを考えている人は、豊かな人は直面しないであろうトレードオフに向き合う場面が増え、そのたびに難しい計算を必要とされる。多岐にわたるタスクを同時並列的に処理しようとすれば、バックグラウンドで多数のアプリを起動するパソコンのように処理能力は奪われ、時間に追われるだけではなく、行動の開始・抑制、衝動の抑制といった自己制御を行うことが難しくなり、単純な発想に手を付けてしまう。100円単位の計算に迫られている人について考えてみるために、奥さんや子どもが突然急病にかかって100万円が必要になる場面を想像してみよう。重要なことは、腕の良い医者と知り合うにはどうすればいいか、家族になるべく快適に過ごしてもらうにはどうすればいいのか等々の課題について熟考したうえで最善と思われる行動を早く選択するべきだが、欠乏状態に陥った人はまともに熟考できないかもしれない。100円に困っている人は資金をどう賄えばいいのかという問題に脳の処理や時間を多く使うことになるので、上記のような急いで決断しなければならない局面で、「借金」という単純な発想に行き着き、病院の特定などそれ以外の問題はどうでもよくなってしまうかもしれない。そのような難しい局面に陥る前に、より年収の高い職に就く準備をしたほうがいいし、医者を探すことに手を尽くしたほうが、突発的な家族の病気という事象に上手に向き合うことができるかもしれないが、欠乏状態に陥った人は、そうした検討事項自体に現実味を感じられずに、助言されたとしても心の底からリアルに感じることができない。将来の生活なんてもう考えるのも嫌だろう。なので、消費のための借金に抵抗感を感じにくくなったり、今よりも数十円だけ高い時給に魅了されてしまうかもしれない。中長期的にそのような欠乏から脱する方法についてしっかりと検討することができないので、失敗できる余地が少ない状況は続き、突発的な問題発生に、失敗するかどうかの選択を迫られる場面も多くなってしまう。結果として、他の重要なことに対する資本投下を後回しにする代わりに、日々の生活費のやりくりや新たな借入先を探し、隙間時間の活用、〇月〇日の返済への計算などより複雑度が増していく。目先の借金や100円の計算が、上記のような家族の病気への対応に対して役立つことはわかるが、結果的に長期的にどれほどのコストを生んでいるかまるで把握できないのだ。

こうした問題の深刻さは、欠乏状態に陥った人が意志の力で脱却することはほぼ不可能ということだ。根本的な原因は、お金、時間、人間関係といった資本レベルでの欠如ということではなく、欠乏状態に陥った結果、処理能力が落ちている中で、考えなければならないこと、かかわっていることが増え、足元の火消しばかりしているので複雑化することである。たとえ目の前に重要な課題が放置されていたとしても、緊急ではないならば後回し、緊急な問題を継接ぎ対応で優先する。問題について熟慮することができずに単純な発想で足元の火消しに終始した結果、さらに複雑度が増すというジャグリングを繰り返す。Mullainathanは欠乏状態になった人について「ほとんどの人は永遠に抜け出すことができない。」と言及している。

一方で、そのような細かな計算に対して注意を払い続けている人は、特定の分野で仕事や勉強に集中することができるので成果を出しやすいなどの一面にも触れている。例えば、仕事に追われている人があるプロジェクトに睡眠を惜しんで取り組むことは何となく理解しやすいかもしれない。一方で、欠乏に陥っていない豊かな人は、100円を稼ぐことに集中することができないし、100円が重要なふりをしたり、締め切りがあるふりをして自分をごまかしたりして、一生懸命に働くことができないのは想像に難くない。この記事の趣旨とは外れるので、欠乏状態のメリットはここではよしておく。

差別・貧困等劣悪な環境によって深い憎しみが心の奥底にある状態では、冷静になってみればさらっと流すことができるであろう処理が複雑化することがある。丘崎さんの例でいえば、とても短い瞬間に激昂状態に陥ってしまい、差別を思い出してしまうばかりか、差別に対する怒りが心を占拠した。結果として、冷静な状況下では手を付けないような行動を選択せざるをえなかった。外野から見ていれば、部落差別という根の深い問題を解決したり、貧困という状況下においても差別のない地域に引っ越すことはできただろうということを考えることができるが、差別を受けていても貧困が続いていても、家族が地区に住み続けることを優先するだけではなく、死体を遺棄するという選択以外考えられなかったのだ。彼が直面したような難しい局面を正確に描写できるはずもないが、怒りや憎しみといった感情が瞬間的に思考を占拠してしまえば、意思に反して何かを台無しにしてしまうという事例は、会社、家庭、友人関係などいたるところで散見される。

 

真空状態

そのような心の占拠問題について、シモーヌ・ヴェイユほど真剣に取り組んだ人を知らない。彼女の著作を読んでいると「試みられていることが失敗していても、むしろそれを受け入れる」という態度がいかに難しいかがよくわかる。ちなみに、ヴェイユと言えば、構造主義を学ぶときに避けては通れない人類学者レヴィ・ストロースの民族婚姻研究史を勉強したことがある人ならご存じだと思うが、レヴィ・ストロースの研究の数学的側面を支えたブルバキ創始者アンドレ・ヴェイユを思い浮かべた方も多いだろう。シモーヌ・ヴェイユアンドレ・ヴェイユの妹である。

1909年2月3日、ヴェイユはフランスの裕福な医師の家庭に生まれた。1914年第一次世界大戦が勃発してから、彼女の父は各戦地に召集され、母、兄、祖母とともに父の赴任地を転々とする生活を送っていた。1931年、彼女は大学教授試験に合格、ル・ピュイ女子高等中学校のリセの哲学学級教授に任命された。3年間勤めた後、学校に休暇願を出した彼女は、彼女自身の考えを実践するために、火花の飛び散る劣悪な鉄工所で勤務することになった。工場の灼熱や劣悪な空気、上司との関係性によって、肉体も精神もボロボロになりながら、後述するように恩寵を受け入れるための思索を深めていく。彼女は、そうした実践の過程で摂食障害により食事を拒否、後に栄養失調による心筋層の衰弱によって34歳という若さで第二次世界大戦中のイギリスで没するまでの間、「不可能な善」に取り組み続けた学者である。

彼女の著作を読んでいると、その思想は不幸そのものであるように感じる。まず、彼女の工場勤務等の活動自体はいずれも何らの目的を見出すことができないように思える。彼女から言わせれば、そのような目的を射程することも、そのために働くこともエネルギーの堕落ということなのだろうか。さらに、世俗的な欲求から切り離されたところで苦悩に満ちた生活を続ける彼女は、すがるべき神にすがることもない。苦痛に満ちた体験を通じて、精神状態は粉々に粉砕されてもなお「想像を交えずに、愛しようと努めること」を実践し続けた。拙いかもしれないが、彼女自身の言葉を交えながら、彼女が実践しようとしたことを表現すると以下のようになる。

「十字架につるされたイエスキリスト」を象徴するように、「人間の悪と希望のない状況」という不幸のただなかに身を置き、そうした状況において彼女自身のまがい物である想像力で不幸を和らげようとすれば、恩寵(神の恵み)が満ちてくる隙間を損なってしまう。つまり苦痛によって作り上げられた真空状態を恩寵以外のもので満たすことを拒絶し、保ち続けながらも(私は無になりながら)、ただあるはずのない希望(人は罪深いから希望を持つことはあり得ない)に極度に注意を向ける。そうした注意力によって、完全性をなしえない幻想のような想像力を拒否し続けて感じとることができるような実在性に対して、それを超えていくような神の超越性を、恩寵として捉え、自己の生に受け入れたいと願い続けた。

彼女は、「神は人間を創造することで、無へと退いた。」と述べている。その神の行為を愛だとして、献身的に神に倣うことこそが彼女の人生であったのではないだろうか。凄く困難な生き方ではあるが、心の占有についてストイックに取り組み続けた女性だったように思う。私には絶対神はいないので彼女とは注意を向ける客体が異なることを理解したうえで、「献身」を体現し続けた一人の強い女性の生き方を記した。

彼女の人生は、二郎の自己拡大との対比において「(恩寵を受け入れるための)自己放棄」にほかならない。

 

目標

ここまでの文章は理想的な有様について書いたが、これからどうするのかという具体的な施策の土壌でしかない。私は、正直に言えば、ヴェイユのようにわざわざ不幸になりたいとは思わないし、宗教や思想ももっていない。しかし、少なくとも他者について無理に想像したり、意味を与えすぎたりすることによって「わかった気になる」ことや、欠乏状態に陥って仕事だけを優先することを一旦やめて、その土壌で「他者が射程に入れたこと、彼方で起きてほしいと願った出来事」について射程していたいと願っている。

人が生きているうちは、将来に存在するかどうかすらもわからない希望が散発的に多産多死し続けているという気がする。そうした希望は、経験的に、大人になっても達成されない状態が続くと、どうしようもなく考えることをやめてしまうことと思う。BTSに惚れた女の子がいたとして、BTSと直接連絡を取る術を探るは少ないはずだし、連絡しようともしないだろう。それは冗談だとしても、私の部下たちはよく喧嘩する。お互いに私に愚痴ってくるのだが、本当はお互い許せるような段階になって受け入れたいという想いを持っていたとしても、近くにいるだけで怒りの感情が頭を駆け巡って、結果的に受け入れることができないということがあるようだ。最初はむかつくという些細な感情だったとしても、それを放置しておくと、取り返しのつかない敵対的関係が醸成されてしまうことすらある。また、新社会人なりたての時には大きな目標について考えることがあっても、忙しくて時間がなかったり、能力や機会に恵まれずに達成できないことが続けば、ロマンを思い描くことすらなくなってしまうかもしれない。最初は些細な諦めや憤りかもしれないが、あきらめてしまうパターンが積み重ねられて、あり続けていた想いを心の底から願うことはなくなるだろう。...1

もう一つ学んだことがある。想像力は大した動機づけにならないのだ。例えば、理想的な生活を実現したい人がいたとして、空虚な気分に浸っているときに、豊かさを目的に立ち上がることができるかというと、なかなか難しいのかもしれない。それよりもむしろ日常的で些細な衝動、例えば、睡眠や、友人との連絡、朝起きたときの窓から落ちてくる光や出先で見つけたおいしいものなど、何らかの外からのズレ感を知覚することによって、いつの間にか前向きに生きていけたりするということがあるように思う。逆にネガティブな事例で言えば、丘崎さんが犯行に至った直接的なきっかけもそのような類の衝動であったのかもしれない。社会的な集団に属していれば人間関係がうまくいかないこともあるだろうが、そういうときは意識的にそうしたズレ感を、人間関係に取り入れてみてはどうだろうか。...2

そういうことをざっくりとした行動レベルで表現してみれば、今回のテーマでもある「大切なものを大切にする」ということは、他者に寄り添い(2)、寄り添うだけでなく大局的に役に立つ(1)というなのだ。

これまでに少なくとも亡くなった人との約束は成し遂げることができたと思っている。亡くなった人の約束なんて個人的な矜持でしかないけれど、自信をもって顔向けできるようになったと思っている。また、詳細は言えないけれど、前職時代に大変お世話になった人、これから共に過ごす家族、友人、部下など大好きな人たちに少しでも献身的でありたい。

終わり