HUGE CLARITY

    前回の投稿で、今の延長線上ではなし得ない大きな大きな成果が欲しいということを書きました。その続きです。


1.非自明
 最近、ソフトバンクの株式を買いたいと思いまして、孫正義さんが目標とするところの情報革命の現況、それをけん引するソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)のマーケット評価、彼らの事業特有のマーケットリスクとヘッジ戦略、そうした諸問題に立ち向かうための組織体、特に近しい未来に訪れるであろう後継者問題に思いを巡らせていました。
 細かい論点はさておき、ソフトバンクのここ数年の歩みについて、順を追ってみましょう。ここ数年間、孫さんが決算説明会でよく言及するように、ソフトバンクは情報革命を巻き起こすために日々奮闘しています。情報革命とは、なんでしょうか。かつてPCとインターネット→スマホ→IoT機器の普及が人々の暮らしを劇的に変えたように、将来AIがあらゆる産業を再定義すると言われています。AIの知性が人間を上回ることをシンギュラリティというらしいですが、そのシンギュラリティによって巻き起こる各産業のパラダイムシフトをソフトバンクが巻き起こしたい、もっと言えば、孫さんは「ソフトバンクはシンギュラリティが起こる時代に世界のど真ん中に君臨したい」と考えているようです。そうしたビジョンを成し遂げるために彼らがとっている戦略の要が、ソフトバンク•ビジョン•ファンド(SVF)です。彼らの投資戦略は、財閥、ある領域で事業を集中した戦略(Appleならサーバー、スマホ、アプリ、トヨタなら自動車に絞った戦略)とは全く異なり、あらゆる領域でナンバーワンとなりうる会社のオーナー(実際は、30%程度の持ち株会社)となり、それらの間でジョイントベンチャーを作ったり、業務提携したりするものと私はみています。例えば、スマホ用の半導体で圧倒的なシェアを誇るArmを筆頭に、半導体・AI、AI学習、ロボ、シェアリング、Finteck、クラウド、セキュリティ、IoT会社にAIを取り組むまでの流れを形作ろうと、将来有望な会社に投資しまくっているのです。AI用の半導体で世界ナンバーワンを取るためにソフトバンク半導体業界の重鎮NVIDIAを買おうとしたことがあります。その際に孫さんの尽力もあり、ソフトバンクNVIDIA両者の合意に至りましたが、残念ながら裁判所から否認されてしまい、結果的にソフトバンクNVIDIAの一部株式を所有する至り、今はArmの成長戦略にシフトチェンジしている印象ですが、ちょっとここでは割愛します。SVFの規模は現時点で15兆円で、世界最大級のテクノロジー系ファンドとして世界中から注目されています。その資金源は、アリババへの投資で得た莫大な資産や、SVFのビジョンに魅了されたサウジアラビア(政府系ファンドであるPIF)、UAE(ムバダラ)、みなさんご存知のAppleなどによる投資です。私は当時、ソフトバンクを通信会社だと思い込んでいたので、ソフトバンクの孫さんが、サウジの皇子を口説き落としました、スティーブ・ジョブズ口説き落としましたとニュースで報じられているのをみて、え?なんで?そんなことできるの?と頭の中がハテナで満たされたことを覚えています。
 証券時代に、孫さんとお話しさせていただく貴重な機会があり、「ソフトバンクにとっての山頂とは何ですか?」と質問させていただたことがあります。孫さんは間髪入れずに「Appleの100倍を超えたい」とおっしゃっていました。鳥肌が立ったのを覚えています。当時、Appleは世界最大の時価総額を誇っており、今の時価総額はなんと417兆円です。日本の国家予算レベルですね。孫さんは、その100倍を目指しているので、ソフトバングループの時価総額を4京1700兆円にしようとしているということです。この数字をわかりやすく言えば、私はゲームが好きなので任天堂さんにお世話になりっぱなしなのですが、ソフトバンク株式を全部売れば、ゲーム界の世界的な重鎮でもある任天堂を4009個買うことができます、日本の主要な取引所(プライム+スタンダード)に上場している企業全部の45個分なので語弊を恐れずに言えば日本45個分、米国9個分買うことができます。仮に一企業がその規模を持つに至った場合、独禁法やら、安全保障上の理由やら、よく使われる政治的な理由で訴えられそうですが、孫さんの目はおおマジでしたし、たったの一代でソフトバンクグループ、ソフトバンクを合わせて時価総額国内2位を気づき上げたわけですから、凄みを感じました。
 一方で、現在のソフトバンク株式のマーケット評価は結構渋いです。世界を代表するようなプラットフォーマーとしての評価はなされずに、単なるファンドや通信会社としての値付けがなされており、PERだけどってみてもかなり低く、私はソフトバンクとは何も関係ない立場ですが、個人的に不満を感じています。
 また、後任問題も同様に渋いです。日本電産の永守さんが後継者をみつけ事業を引き継ぎいだことはご存知と思いますが、孫正義さんもいずれ引退しなければなりません。しかし後継者候補と騒がれた、Googleの上級副社長兼最高事業責任者のニケシュ・アローラさん、ドイチェバンクの輝かしい時代を築いたラジーブ・ミスラ、私が出会った中で一番優秀だなあと感じたゴールドマンの佐護さんもダメ。ソフトバンク内部で何が起きているのかわかりませんが、もしかして、この世に、孫さんの情報革命を引ぐことができる人なんて存在しないのでは、と考えてしまいます。

 ざっくりと書いただけですが、そんな感じで、孫さんが思い描くビジョン、そして現在までの実績は、割とマジでやばすぎて、訳が分からないのです。

 ちなみに、(さっきから適当な表現ですみません、わけのわからなさについては後で詳しく書きますが)他にもわけがわからんくらい凄い人は散見されます。以下は、私がこれまで活動の詳細を見てきた中で、すごいなあと思った人を、誠に勝手ながらマーケットからの評価の高さ×わけわからない度合で比較したものです。
 外銀・戦コンのMD<<<<<<<佐護勝紀さん<村上世彰さん<<<藤田晋さん<<<<<<<<孫正義さん<<<佐々木健二さん
 右に行けば行くほど、目標設定もアプローチもアートすぎて、彼らがおかれている状況はなんとなく理解できますが、「仮に私が〇〇だったら、こうするはずだ」という回答をズバッといえないのです。
 上記の軸の「マーケットからの評価」という項目を単に実績と置き換えてみれば、アカデミックの世界では、ユークリッドにリーマン多様体を埋め込んだジョン・ナッシュさん、幅広い研究分野の基礎でもあるガウスさんがいますし、スポーツの世界ではメッシがいます。世界の名門クラブのサッカー選手がメッシュと対峙した後に、「宇宙人、止める術がない」というようなことをいっていましたが、各界にわけのわからないくらい凄いひとは少なからず存在します。

 
2.多大な明晰
 一方で、ある程度の営業マンや(年齢や体力的な制約はありすので実現可能かは別として)並みのスポーツ選手であれば、そのレベルにたどり着くために何をすればいいかが大方想像がつきますし、彼らの今置かれた状況からどう好転できるかアドバイスもできます。それと比較して、孫さんの活動やプロサッカー選手がメッシと対峙したときに感じる非自明性は、私が彼らの取り組みについて、極めて明晰であるとは言うことは到底できないばかりか置かれた状況の一部でさえ把握することすらままならないので、何も有用な助言はおろか、私だったらこうするだろうという意見を持ったとしても、おそらく的外れなものかのだろうと考えます。
 ちなみにいうまでもありませんが、孫さん、ナッシュ、メッシはすべからく、実績が私たちが感覚的に持っている閾値を超えてしまっています。彼らが営業マンの売上のように比較されずに個として扱われることが多いのは、実績が閾値を超えすぎると比較対象がいなくなってしまうからです。かつて、Googleという会社が「検索エンジン」を発明し、世の中に発表しました。私は、技術よりも、PCが(いまもある意味そうですが)ただの計算機だった時代、みんながぽちぽち文字を打ったり、簡単な計算ソフトをプログラムしたり、ドット絵の二次元ゲームでぽちぽちしてる時に、「検索エンジンは便利じゃね?」と思いついたことが天才的だと思います。当然独創的すぎて誰も発想したことすらないことを実現した彼らにライバルなどいませんでしたし、長い間世界の時価総額ランキングトップ5の常連です。誰もわけがわからないので、ライバルすらいなかったのです。
 話を戻します。私が仮に孫正義さんだったとして、いかに情報革命をけん引するかと考えたときに直面する非自明性を、(なんとも計測しにくそうですが)①ほとんどの人にとってその領域の知見に関して非自明性であること、その非自明に内包された②閾値を超えた成果のミックスだと定義した場合、「無理難題」という記事でも触れたように、何よりもまず、非自明を明晰にする手段を考えるべきです。自明であることの中にも、マーケットの歪みによって、自明の②は世の中を探せばあるかもしれませんが、つまらないので割愛します。
 素晴らしい実績とは程遠いですが、単に私にとって非自明な対象に取り組んだ結果視界が広くなった事例を紹介します。(あの、素晴らしい実績を残したことがないことは、触れないでください!)。
 聞き慣れない単語も多いかと思いますが、多くの訴訟を体験してきました。債権回収等の簡単な手続きから、法人間における契約外の損害論、債権額351億円のコロナ蔓延由来の大型民事再生、契約・合意・期待権の成立が問われる立証案件、都・区・組合の許認可手続きの不正や法的な主体性の否定・公定力にかかわる問題など多岐にわたる論点について、時として専門家としての弁護士がほぼ存在しない領域に至るまで、自分たちの手を動かして研究したり、心象形成に配慮した細かい表現やストーリーを考えたり、場合によっては民事ではなく行政裁判の特殊性について熟考するも判決の速さに憤りを覚えたり、挙げ句の果てには最高裁の公平さに安堵したりするなどしてきました。どうやら行政裁判の一審、控訴審などは、裁判官が出世を視野に入れているがために、割と行政寄りの判決が出やすいらしいですね。
 2020年には、上述したように取引額の大きい取引先が、コロナ蔓延による業績悪化によって、351億円にわたる負債を処理するために民事再生手続きを選択しました。その結果(実は現在似たような案件を抱えていますが)、当社が保有していた債権がほぼ無価値になりました。取引先の民事再生による当社への影響はそんなに大きくなく、余裕を持って堪えられる程度でしたが、そうした一連の事象によって、当社と大手金融機関間の借入に係るコベナンツが発動されたことが副次的に起こりました。大手金融機関が当社に借入残高の一括返済を迫ってきたのです。なので、多額のキャッシュをかき集めざるをえなかったので、本当に、本当に大変でした。法人の倒産理由は、事業の良し悪しや通期の収益性よりも、資本政策の失敗となんらかのリスクが顕在化することが重ねておきることによる、キャッシュ不足がほとんどなのではないでしょうか。いわゆる資金繰りというやつで、本当に儲かっているかどうかは二の次の問題です。米国の企業は、資金調達市場が手厚いので何年も赤字が続きでも投資を継続するスタートアップが多数あります。このような危機は、リスクが顕在化した時にどのような影響があるかを把握できていても、副次的に何が起こりうるのか検討しきれていないことによる弊害によるとも考えられます。それこそ、世界恐慌を巻き起こしたサブプライムローン問題について、デフォルトリスクの高い個人を対象とした商品特性そのものに欠陥があることは大問題でしたが、何よりもまずローンを借り受けている人の生産性の成長率が、金利上昇額を一定期間下回ったことによることが直接的な原因なのだし、そういったデフォルト事情は法人個人問わず想像に難くありません。結論としては、どれほど儲かっていても、きちんとした複数のリスクシナリオ上に合成ポジションを構築するのが大切で、それらを考慮した資本政策を用意しておかなければなりません。
 ここまでを振り返ってみて、4年くらい前まではできなかったけれど、経済的・法的なリスク管理について考慮した上でしごとかできるようになったように思います。私たちが取り組んだ分野では、その道の専門家である弁護士を凌ぐ洞察を蓄えていき、弁護士は代理人として単に法的な手続きを行う主体に過ぎない扱いをせざるをえないことも増えてきました。つまり、目的ドリヴンな結果を期待する訴訟を行うにあたり、マニアックな法的手続きや訴訟における弁護士業界の常識はしばしば結果を期待するだけのアクションでしかないケースもあり、結果に直結する訴訟戦略をある程度構築できるようになったし、加えて、裁判外の交渉や裁判前に経済的メリットを得るためのポジショニングなど弁護士の守備範囲を超えたオプションを幅広に持つことができるようになったということです。本気で取り組んだこそ、奥深い世界が見えてくることがあるのです。


3.ごくわずかな人しか見ることのできない豊沃な世界
 裁判なんてくそつまらない話はするなという声が聞こえてきそうですが、多少はその奥深さを感じていただけたならうれしいです。今の私は、法の研究者がそれに没頭する理由もなんとなくわかるように思います。以前、仮想世界の第三者対抗要件なんかクソくだらねえとかいってしまいすみませんでした。
 一方で、裁判のニュースや学校でならった数式といった断片的な情報から、その魅力に気づくことができないのはありていにいってかなり普通のことです。私も多くの人と同じように、いまだに数式に魅力を混じたことはありません。しかし、裁判の事例と同様に、稀にその奥底に豊沃な世界を感じ取ることがあります。それらは趣味の世界だけではありません。数学のようなアカデミック世界、つまらないと感じている仕事の奥底にも存在するかもしれませんが、往々にしてめちゃくちゃくわしくなってアイディアが湧いてきてからだからこそ感じる魅力があることは肌感覚で理解しています。
 私も今魅了され一生懸命取り組んでいることがありますが、孫さんが、手を尽くす価値のあるロマンのある対象を見つけたように、みんなもお宝を特定すれば、より充実した人生を送れるのではないかとも思っています。
 そのためには、自分探しの旅に出るのがいいかもしれません。こう発言すると「何を間抜けなことをいっているか」と批判されそうですね。自分探しの旅は、大学生の迷走と捉えられがちですが、かなりマジです。自分探しの旅というのは、立地的に移動することだけではなく、今取り組んでいる対象をあらゆる側面から見直してみたり、やったことのないことを本気で試してみたりするということです。そして、それらの表面をなめるだけでなく、ちゃんとかじることです。これも、世界トップ5%以内に入るくらいにかじることが大事です。そこまでいくと、ほぼ極めているわけですが、そのレベルになるまでは「あ、これ違うな」と思っても続けることです。それでも「ちがうな」と思えば、次の対象に移る、そしてまた世界トップ5%くらいになるまでかじる。その繰り返しです。そうしていれば、いつのまにか自身にとって光り輝く仕事や趣味が見つかるかもしれませんし、仮に、閾値を超えて社会的に評価されるなど、何かしらの利益を享受できると期待できるならば、あなたも孫正義の仲間入りのスタートラインに立ったということです。

4.非自明を暗中模索する
 あなたが仮に、孫正義さんのように、非自明さの中に、評価されうる機会を特定できたとして、ではどのようにそれらを明晰なこととし、実績として回収できるでしょうか。もう少しだけ踏み込んでみましょう。
 非自明性について。非自明には、グラデーションがあります。例えばこんな感じです。A.死ぬほど頑張れば全解決できる95%+死ぬほど頑張ってもわけのわからない5%、B.死ぬほど頑張ってもわけのわならない95%+死ぬほど頑張れば全解決できる5%というA~Bのグラデーションがあると仮定して、今回のテーマである非自明性のなかにおける多大な成果は、Bに振り切ったところにあるという話をしてみます。わけがわからないというのは、死ぬほど優秀な人が死ぬほど努力しても超えられないと感じさせるような壁のことです。あなたが営業マンだとして、毎月300万円程度の個人目標がいきなり300億円にされた時を考えてみてください。99.9999%の営業マンはどうしようもなく何もできずに達成できないはずです。上記でふれたように、多くのサラリーマンや事業主が生み出す成果や並のスポーツ選手の活躍はAパターンに分類されますが、Aパターンにはどういう経路を辿れば成し遂げることができるのか、その道のりを思いつくことができますし、今思いつかなくても、どうすれば思いつくのかロジックを組み立てることができるという特徴があります。一方で、ガチ中のガチすぎる閾値を超えまくっている実績を得たい場合には、その過程はBパターンに分類されます。Bパターンでは、上述したような壁が高すぎてその道程を具体的に想像することすら困難という特徴があります(Bパターンなのに、社会的に評価されないだろうことは、本人が満足しているならいいですが、自己満でしかないです。)。
 Bの極地で成果物を収穫するためには、95%の非自明性をクリアなものにする必要があります。例えば、Bの極地は、あなたがブロックチェーン素人だとして、今から世界5%くらいくらい詳しく調べるのみならず、事業の世界で言えば、まだ未知で誰も成し遂げたことのないようなサービスを提供し、世界中のライバルを打ち負かし、自らの手で世界を作っていくくらいのレベルです。ある事業領域で全世界中シェア1位をとるためのアプローチは非自明なものなので、単にその業界について熟知したところで、目的にとって自明になったとは言えないのです。Bパターンの世界で自明性を手に入れるためには、前回のブログでも記述したように、暗中模索が必要です。わざわざ暗中模索と書いたということは、Bパターンにおいては成功の方程式はなく、成果は極めて散発的に表れるということを言いたいのです。裏を返せば、個別具体的な事例を分析や明らかになっている知識を覚えたり、こうすればうまくいくという方程式のを勉強したりすることは、Bパターンを攻略するにあたり、結果を期待するだけのプラクティスでしかなく、アナロジー以外ではあまり意味がないかもしれないということです。孫正義さんの卓越した結果を見ることができても、私たちにとってそこに至る95%がわけがわからないのですから、アプローチも独創的なものになるからです。Bパターン攻略には、自分が個別具体的な対象のために手を尽くし、考えつくすしかないのです。例えば、あなたが孫さんになったとして、孫さんのビジョンを達成しようと思えば、Aパターンで通用したはずの正しい手順を踏んでも前に進まないはずで、Bパターンではその攻略方法を教科書にするくらいの能力がなければ目標不達で終わるのです。ハンターハンターの世界では、ドン•スリークスが暗黒大陸の本を出していますが、暗黒大陸以外の皆が暮らしている世界の知識をもって暗黒大陸を語ることができないのと同様です。
 ただし、AとBのアプローチが全く異なるとも思いません。非自明が多いか少ないかだけの話で、調べても誰に聞いてもわからないことを取り組むときに誰もが行うように、
 ①手始めに、3時間くらい何も調べずに、無理にでも妄想で原理的に教科書を書き、網掛けにする。
 ②網を試行錯誤しながら引っ張る。
という手順を踏んでいることは同じなのです。そのうえで、Aには十分条件、Bに必要条件の要素をあえて挙げるとすれば、「無理難題を回収する」で書いた通り、95%のわけのわからなさをサッと理解してしまうような洞察としか言いようがありません。繰り返しになりますが、Aは教科書通りに進めれば成功し、Bでは成果を刈り取るための教科書をいちから作るようなものです。そのあたりは、当然話がアートすぎて体系化できないので、最後に事例を少し触れることとして、今回はAの5%程度の非自明を明晰なものにするための流れについて、事例を交えて書いてみようと思います。例えば、Aパターンであれば、こんなやり方があると考えます。
 身近な事例で説明してみます。一般的に、営業マンのノルマは業種にもよりますが、月々300-500万円くらいでしょうか。そんななか数千万、数億と多大な成果を積み上げる営業マンは何が違うのでしょうか。売れない営業マンから見れば、トップ営業マンの日々の行動自体は他の営業マンと大きな差異は見られず、電話をかけたり、一見すると変わり映えのない提案を行っていたりするように見えます。しかし、おそらくトップ営業マンは、みんなと同じようなことをしているように見えても、その行動はかなり異質な性質を含んでいると考えるのは、あながち間違いではないと考えます。
 私も昔営業マンをやっていたのですが、ほかのみんなと変わり映えしないフローで営業していたと思います。
1.リスト制作
2.アポ取り
3.初回面談
4.提案
5.契約
 上記のフローを踏襲しつつも、契約を獲得するための試行錯誤の回数は意図的にTO DOリストに付け加えていました。それによって得た洞察量が大切だと思っています。試行錯誤というのは営業に出向く回数のことではなく、大きな成果を上げたいと目標を掲げ、そのためのアプローチを死ぬほど考え、実際に行動し、死ぬほど修正したということです。何を試行錯誤するのかというと、営業の場合突飛なアナロジーは不要で、シンプルに事細かに分解された目標数字とそれに直結する行動を数万パターン考えるだけです。例えば、実際に顧客候補にアプローチした際にアポが取れる確率、初回面談が次回の提案につながる確率、提案が成約に至る確率などをワンアクション毎にカウントし、1日の終わりに、それぞれの事細かな目標数値に対してどれだけ近づくことができたかを評価していたのです。例えば、AというリストとBというリストで結果に明確な数値の違いがあれば、次回以降は、Aというリストの特徴(業種、ジャンル、規模間、立地、従業員数など)をとらえたリストを増加させることができます。当然両方のリストで、アポ件数が変わらなければ、さらに改良したリストをいくらか用意します。また、アポ取りのためのスクリプトを複数用意したとして、成功確率はそれぞれどの程度違うかをカウントします。アポ取りの過程で受付突破という難題がありますが、「この前〇〇の会で同席させていただいたものですが、社長います?」がいいのか、「御社に魅力的なご提案を!」がいいのか、「は、知り合いなんだけど、」を突き通すのか、何百パターン、何千パターンも思いつくことができるように思いますが、それぞれどのくらいの成功確率なのか把握し、一番良いアプローチを特定したいのです。当然ですが、面談、提案も同様のことを行います。面談から提案につながる確率が20%くらいしかない人が35%に上げたい場合は、1日の営業時間の終わりにこういうことを行います。3分間、何が数値目標を達成できなかった要因なのかという課題を15案書き出すのです。なんとしても気合いで3分で書き切ります。その後、書き連ねた課題を評価します。大体の場合時間がないので、緊急性、難易度、結果に直結しそうか期待できるが直結するかわからないか、というざっくりレベルで◎〜×と書くだけでいいかと思います。そのようにして、解決すべき課題を特定できれば、それぞれの課題ごとに15以上の解決策をこれまた3分で書き出します。時間的にかなりきついですが、頑張って書き切ります。そして、それぞれの解決策に対してどの程度の効果が見込めそうか、上述のように評価します。このように暫定的に特定した効果のありそうな行動を、早速次の日に試します。これを毎日繰り返すのです。
 蛇足ですが、アポが取れたとして、初回の雑談から提案時に一気に熱が冷めてしまい次回のアポが取れないという課題があったとして、どうしても有用なアイディアが思いつかなければ、営業成績の良い人に頼み込んで同席させてもらうのもいいとおもいます。大体この場合の課題は、雑談から提案までに流れをブチ切りしていることが原因なので、ブリッジの練習をすれば大きく提案までの確率は上がると思いますが、そうしたアイディを自分で発見し、理解することが重要だと思います。
 最終的に私の場合は、超大物一本釣り戦略というくそださい名前の営業プランを採用していました。つまり◯◯の業界のなかでも〇〇というポジションにいる会社×会社規模ごとにリストをつくり、それらリストごとに百パー突き刺さるだろうと確信できるようなアイディアを、リストごとに最低5本は用意しておくという作戦を採用しました。手間がかかる分、超大物だけをターゲットにしていました。ほんとにここに行きつくまでは大変でした。例えば、不動産会社を、デベ、仲介、管理という種別で分類してリストを作る場合、不動産デベや仲介のオーナー社長に対しては、不動産に興味ある人を大量に獲得する方法として不動産特定共同事業×匿名組合(相続している会社に対しては任意組合)×ワンロット100~10,000円というアイディアは、実際に1回のファンド生成で、ファンドのサイズにもよりますが、300人~500人程度の見込み顧客を獲得することができますし、何より儲かるのです。異次元運用プランで事業利益を200%くらい改善できそうなアイディアに、投資家還元プランを付け加え、顧客誘導を促したり、デベが投下資本5億に対して利益が5000万円と見込んで商品作りをしている場合には、2億くらい儲かるプランを持っていき採用してもらったりするなど、確実にそのオーナー社長が飛びついてくるネタを何本も用意しておいて、そこを間口にしていました。こうしたプランは、証券マンならよくやることですが、事業の分析を何度も何度も繰り返しているうちにおのずと思いつくものだと思います。不動産用だけではなく、エネルギー関連用、人材紹介会社用など、たくさんのリストを作りました。また、バーター化しないための作戦とか、金を引っ張り出す方法とか、いろいろかなり考えていたので気になる方は聞いてもらえればと思いますが、上記のフローは絶対にまあいいやてへぺろで絶やしてはならないです。24時間間髪入れずにやり続けましょう。
 上述の例では、試行錯誤によって一つ一つの流れを逐一点検した結果、誰も試したことのないアイディアが見つかったり、その結果として閾値を超えた成果を出すことができた実体験として、なんとなく体験していただければと書いたものです。しかし、この事例は、ほとんどのことは調べたり先輩の話を聞けば解決し、若干の創意工夫が必要くらいの難易度なので、Aパターンですね。このブログで何度も言及してきた暗中模索というのはこういう雰囲気だということを感じ取ってもらえれば大丈夫です。Bパターンでも同様に、Bパターンのうちにある多大な成果を手にするためには、まずは何からも学ばずに死ぬほど考えて、手を動かし、また考えるという連続が必要です。繰り返しになりますが、Bパターンでは、多大な明晰さを得るための洞察がより必要になってきます。

 

5.優れた洞察は魔法のような思いつき
 最後に、繰り返し触れてきた洞察についてもう少し深掘りしてみます。過去の記事でも触れたことがあるので、お時間ある方は「無理難題」をぜひ読んでください。
 優れた洞察とは、魔法のような思いつきと言ったほうがいいかもしれません。その思いつきさえあれば、真っ暗でわけのわからなかったゴールへの道のりが途端に照らされるのです。
 暗号資産の価値が大幅に上昇したことをきっかけに、ブロックチェーンのスマートコントラクトでPvP決済を行う際にかかるコスト、つまりETHのガスフィーの高騰が問題になっていました。ETHチェーンで承認を受けるためには、大きなフィーを払わなければならなかったのです。ブロックチェーンを使って契約・決済のコストとオフチェーンで契約・決済する際のそれを比較した場合、ブロックチェーンを利用すれば単にコストが上がるので、ガスフィー問題は割とブロックチェーン事業者にとって死活問題でした。今でこそ、Polygonのようなレイヤー2やSolana、Sui、アバランチがイーサを補完しましたし、特にSolanaはスケーリングの問題をパスしたっぽいのですが、当時はERC20や1155といった規格で作られたサービスを使う際の高いガスフィーを、サービス利用者は受け入れなければなりませんでした。これに対して、法律上必要な項目を各地域で個別に特定し、それらにあった情報のみをブロックチェーン上にプログラムするようにすれば、ガスフィーが1/22程度に収まることに気づいたのです。営業の例で言えば、細分化されたマーケットのニーズ特定と商品設計という一連の作業を営業マン単位に落とし込むことによって、大物を複数人開拓することができ、誰でも思いつきそうなアイディアでしたが、月間5,000万円そこそこの取引が、1年半程度で一時500億円を超えることもありました。そのアイディアを思いつくまでの経緯がしんどいかったですが、AIマーカレスモーションキャプチャー事業はそもそもそれを思いついた時点で、売上を複数年上昇させ続けるだけで上場できるし、ベースシナリオで3000億程度の時価総額は余裕だと思っています。そして、そうした事業を遥かに凌ぐ、これまでの延長にないような多大な成果として、ブロックチェーン事業に取り組んでいます。まだまだ私はBパターンの極致にある事業を何も成し遂げていませんが、孫正義さんや佐々木健二さんのようになりたいと思っています。
 一方で、Bパターンを打開するような神がかった思い付き(洞察)は、狙ってでてくるようなものではありません。例えば、Bパターンの例として「営業ノルマを100倍に引き上げます」と上司に言われたとして、すぐに適切なアクションを思いつく人なんかいないと思うのです。ほとんどの方がその目標に歩み寄ることすらできないでしょう。2018年の暖かい季節だったと思いますが、小林秀雄賞を受賞された森田さんにお会いするために千駄木にお邪魔しました。その帰りに近くの喫茶店に立ち寄って、なんとなくTwitterを開きぼんやりとツイートを見ていたところ、たまたまコムデギャルソンから独立された小石さんという方が、森田さんと交友があり、二人でやり取りしているのを見かけました。なぜだかわかりませんが、彼の文体が単に好きで、少しさかのぼって読んでみると、ファッションの有様を見たこともないアプローチで分析している斬新さがありました。その後、たまにリプライでやりとりさせていただく機会も増え、どんな内容のやり取りだったかすっかり忘れてしまいましたが、私が彼のツイートにコメントしたことをきっかけに、小石さんから「いつもツイート拝見しています。もし機会があればお話しする機会が欲しいです。」というような内容のDMを受け取ったことを覚えています。彼は、デザイナーや作家などアーティストの活動を阻む言語や資金等の壁があり、それをぶち壊すことができれぼ莫大なエネルギーが社会に流れ込むはずだというようなことをおっしゃっていたように記憶しています。私は金融関連のことばかり呟いていたので、そうした活動に係る金融面の話がしたいと。この系譜で結果的に現在ブロックチェーンに取り組んでいるわけです。そんな彼が、もう閲覧できないのですが、FREE MAGAZINEというウェブサイトに「新しい」という概念について、抽象度の高いエッセイを寄稿していました。彼にとって、「新しさとは、周回遅れのデッドヒートから生まれてくるものなのかもしれない」ということが綴られたエッセイだったと思いますが、私はそのエッセイを読んで、新しさは最先端から生まれてくるとは限らないというように理解しました。あるいは、メインストリームだけではなく辺境から新しさが顕現する可能性も意図し書かれたようにも捉えることごできます。さらに拡大解釈してみるならば、新しさの発生源だけではなく、そのタイミングも、往往にして予測不能なものかもしれないなと考えています。
 ここで「虎が木の周りをぐるぐると高速回転していると、突然バターになる。」という話をしてみようと思います。この話は、1988年に絶版した「ちびくろサンボ」という絵本にでてくる逸話です。思考を働かせすぎると脳みそが溶けたような気分になるという状態を意図して描かれたシーンらしいのですが、私はこれを読み、「ファンタジーの世界では、高速で動き回ると、物理法則を跳躍して、異質化することがある。」という感想を持ちました。間違いなくミスリーディングですが、ミスリーディングの中に大きな示唆があると思えるのです。筑波大学准教授の落合陽一さんとモリス・バーマンの言葉を借りれば、錬金術という仕組みのわからない技術?の時代が終焉を迎え、科学技術の発展により社会の仕組みがより明らかになりました。そして、この先は科学技術が進歩しすぎてしまい社会の中身がよくわからなくなってしまうのではないかということです。技術が進みすぎて誰も仕組みが理解できない社会は、錬金術による物質の生成理論がブラックボックスであったという側面と類似しているということです。小学生並みの表現で申し訳ないのですが、スピーカーや黒電話の仕組みを理解し作ることができても、スマホでなぜYoutubeを見ることができるのかを理解し、素材から再構築できる人はほとんどいないのではないかと思います。このブログの文脈で言えば、Bパターンの領域で戦っている孫正義さんが、どうしてその課題を解決できるのかという合理的な理由は一切わからなことと同じようなことです。孫正義さんが取り組む対象は、多くの人が理屈がわかったうえで取り組むAパターンとは事情が異なり、つまり資本が潤沢だとか、戦略のロジが通っているだとか、それぞれの分野に精通した人員が揃っているだとか、事業の運営を考えるうえで検討することの多い要素だけではまったくもって戦えないないほどに非自明性が満ちているのです。優れた洞察とは、そうした非自明性に多大な明晰さを与える一方で、いつどこで思いつくかわからないものです。しかし、何かしらの活動にデッドヒート、例えば、試行錯誤とスクラッチが過度に行き過ぎた状態にあるときに、虎が高速回転しすぎてバターになるように、極めて散発的に思いついてしまうものだと思っています。

来年の目標やインフレに関する雑感

友人という言葉の意味を、趣味が同じ等何らかのメリットがあって付き合う「理由のある人間関係」、地元の友達や仲のいい同級生のように楽しくても楽しくなくても定期的に会うような「何の理由もない人間関係」と大別した場合、後者の方が、困ったときに何でも相談したり、愚痴を言ったりすることがおおいように思います。

一方で、事業活動を営んでいると悩み事が尽きません。マクロな事業環境、リスク評価、戦略、財務や人事など管理に係ることや、営業、コンティジェンシー対応などミクロな部分に至るまで、常々責任を感じていますし、特につらいのは、信用していた取引先や従業員からの裏切りがあったときです。しかし、基本的にこのような分野について相談できる人はとても少ないのが現実です。この類の話は、本当に信頼している従業員以外には相談できないことも多いし、ましてや友人や家族に相談しても迷惑な話かもしれません。だから、全部背負いこむことが多いです。

すぐ投資する人あるあるですが、私はいまキャッシュ貧乏に陥っているので、どの資産を売るか考えていますが、だれにも相談なんてできません。と思いきや、証券時代の大先輩で一緒に仕事したりすることもある方も、取引先救済の件で資金関連の話をしていたときに、投資のし過ぎでキャッシュ貧乏に陥っていることが判明し、話が通じましたww結局マーケットとタイムホライズンの話につきますねえ、

そういうこともありますが、稀で、なかなか誰かに頼ることができない世界なので、よく孤独を感じます。

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以前Twitterで「稼げない本当の理由は、働かないからです」というツイートを見つけ、「頑張っても給与が上がらない仕組みを、企業が採用している」というコメントをしましたが、なんとなく世間的な解釈とはずれているような感じがしていました。

先日行われた政治家先生主催の勉強会に参加させていただいたときのことです。(招待券さえもらえれば、だれでも参加できる機会でした。)
一次会では、麻生さん、河野さんといった政界の重鎮たちが挨拶しすぐに帰ってしまいましたが、二次会では立食パーティが行われ、某企業の代表者、有名な建築家、大学の先生など各業界の大御所がグラスを片手に語り合っていました。

私にとってはあいさつ回りだけでもとても刺激的で、新人営業マンのように会場をくるくると回っていた時のことです。皆が談笑している中、政治家先生を中心に、インフレをテーマに議論を交わしているグループがあり、その傍らで話を聞いていました。
「日本の物価があがらない、どうすればいいか」
「企業はインフレ(生産者物価のことを言っているんだと思う、その物価上昇)による利益率の低下に耐えていないで多少でも値上げに踏み切ったらどうか」
「事業者は、内部留保をたんまりと抱えていないで、再投資分を確保したら、賃上げを積極的に実施するべきだ」
「働き手がリスキリングすればそれに見合った給与が支払われるはずなので、問題は働き手の技術不足」
等々の会話を端で聞いていると、少し間ができた時に、政治家先生から突然
「お名前はなんですか?」
ときかれ、ド緊張で顔を真っ赤にしながらあいさつした後に、
「どう思いますか?」
と会話に入れていただきました。
「労基の問題です。企業努力によるインフレ改善効果は十分に検討されるべきですが、私はどちらかといえば、雇用制度がキーだと考えています。
つまり、従業員の権利を守るという労基は尊重されるべきだという考えを一旦棄却して、聞こえは悪いですが、米国のように従業員のくびをさらっと切れるようにするのが手っ取り早いように感じます。そうすれば、儲かっている事業者は従業員にいくらでも高い給与を払います。」

そんな話をしたように思います。
事業リスクを考えるうえで、事業の低迷シナリオが顕現した時の雇用コストを考えてみると、雇用や賃上げを慎重に考えざるを得ないというのが現実です。賃金を上げすぎたり、従業員を増やしすぎてしまうと、事業がうまくいかなくなったときに大変なことになってしまいますから、雇用主という視点から見れば、今いくら儲かっているからといって、気軽に賃金という形で還元したり、多くの従業員を雇うという選択を取るには極めて慎重にならざるを得ないのです。
逆に、従業員をクビにしやすくすれば、後からいくらでも雇用コストの調整ができるので、内部留保をため込んでいたり、短期間のキャッシュの入りが多い事業者はいくらでも高い給料を渡すし、高い給与を出しやすい企業が増えれば、労働者がリスキリングで自身の市場価値に見合った額を受け取りやすくなりますし、事業者が商品を値上げしたとしても、消費性向の逓減も限定的になりそうな気がしています。

私の場合は自分が受け取る報酬を自分で決めているので、ちょっと例外的ですが、そういう形態を普及させるのもいいかもしれません。(それはない)

こういった経緯があり、ありがたいことに、政治家先生の秘書の方をご紹介していただき、月一の定例に呼んでいただくことになりました。私よりもはるかに高いレベルで戦っている方々と議論できる機会を得ることができました。本当にありがたいです。

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そのようなシビアな事業環境ですが、ぐちぐち言っていても仕方ありません。私たちは今の売上単位を、1000億、1500億と増やしていかなければなりません。悩むことも多々ある仕事ですが、来年はざっくり以下のような事業活動に取り組みたいと考えています。

 - ブロックチェーン事業とファイナンスで、各事業体を大幅に拡大したい
  - 開発はレイヤー2PolygonでERC20からERC1155へ変更します。

  - Solanaやアバランチはまたの機会に開発余地があります。

  - ST関連の法律は予想通り金融庁管轄になりました。そこで事業開発断念or金融機関等一種金保有事業者の買収を検討しています。
  - シニアローン以外のメザニン、ジュニアレンダーの導入を考えたり、匿名組合出資(優先劣後)のみならず匿名組合出資によって成る合同会社による出資、エクイティ投資あるいはその組み合わせそのものを、ランク制度としてNFTで管理することによって、大口の取引先にとって、多大な利益を得る機会を抽出します。一方で、小口の投資機会も拾うことができるようになります。つまり、これまでの構造では参加組合員等は年率3-5%程度の利益を獲得できるだけでしたが、50%超のスーパーハイパー案件に参加できる可能性があるし、これまで通り、3-5%程度の安定的な収益機会にも参加することができるということです。
  - 上記のランクに応じて、投資機会を産出する機構にあたるコンテンツを選択できるようにします。例えばAIマーカレスのようなハイリスクハイリターンのコンテンツは上位ランク、ミドル層としてホテル開発、商業ビル開発、ゴーストキッチン開発、キックボクシング開発、コインランドリー開発、都市型のデータセンター、民泊、レンタルオフィス開発等々に対するエクイティ投資等は下位から中位のランクといった風に、上述の多岐にわたる商品を作る予定です。これによって、各事業の開発が大幅に拡大・加速可能になります。

  - 一番化けると思っているのはAI事業で、今でこそ一番資金効率が悪く、月間1億前後の売上しかないが、コンティジェンシーしかしてない割にようやってるなという印象です。営業したらどんだけいくんだか、、、他はつまらないがほぼ確実に利益が出せる安定事業です。例えば、ホテル開発は自己資金に対する利回りが安定的に高く、ゴーストキッチンはマネジメントはめちゃ大変だがホテルの数倍資金効率がいいですね。レンタルオフィスは区画に制限があるが、バーチャルオフィスを無限に獲得できるので塵積もですし、ビル開発は矮小地であれば、事業規模5億~10億そこそこですが、土地値は儲かるという普通に考えて結構やばめ案件です。野村のGEMSという用途先行したプロジェクトや、渋谷のスクランブルスクエア2階のような小区画割を韓国コスメ仕様にして新大久保に出すのは、死ぬほどもうかりそうな予感がしているので、やりたいです。仕入れチームを組めば、今は年間120そこそこですが、年間300くらいはいくんじゃないかと思います。ほかはくそつまらないので割愛します。

  - 上記のPER高め案件をベースに、ICOを実施する予定です。上述では、商品の組成頻度によりますが、事業環境のシナリオによって、せいぜい740-920億程度のレンジの売上を見込んでいますが、ICOが本願の利益獲得機会にしたいと思っています。ここは成功すれば数百億、大成功すれば数千億、失敗すれば既存サービスのコストダウン程度の利益を享受できますし、私の性格上、開発コストをかけたくないので、開発チームはかなりユニークな組織体になっています。プロジェクトに応じて、CTO含めて外部人材を活用することで、目的特化のチーム編成に心血を注ぐことによって、最小限コストで最短期間を目指しています。

  - そのほか、絶対につぶさない事業ポートフォリオの構成、各事業体の成長やバックオフィス関連について考えたことは、細かすぎるので割愛します、、、4社もあるし、その中の事業部も複数あるので、、、

 

- なぜここまでブロックチェーンに入れ込むのかについては、ロマンがあるからです。
 - IPOからSVFのような少数株主~100%株主の出資、辺境としてのICOが際立つようになってきた感があります。つまり、これまで高PER事業のオーナーは株式上場によって大きな資産を獲得してきました。当社も期をみて上場させる会社はありますがマーケット環境を注視しています。一方でここ数年間、ソフトバンクビジョンファンド(ARM、アリババ以外はたしか少数株主)のように、ファンドや大手事業者に事業を売却し、何百億、何千億といった資産を築くという話が頻繁に聞こえてくるようになりました。私の知人もゴーストキッチンのフランチャイズ事業を某通信会社に売却して人生上がってしまいました。。。もったいない。さらに直近の話で言えば、ICOが話題に上がることが多いです。CZはあまりにも有名ですが、カルダノ佐々木さんのように、世間一般的には知名度は低いのに何兆円も保有することになってしまった勢も世界中に表れています。何兆円とは言わないまでも、何百億円手に入れましたみたいな人は、マーケットキャップを見ればかなりざらにいます。ICOは、IPOやシンプルな株式譲渡で得られる対価とは、桁が違います。最近はIEOやSTOといった事例も出てきましたが、STは少し性格が異なるので割愛します。
 - ブロックチェーンは世界で開発競争がすさまじく、非中央集権やDAOなど思想レベルの開発、チェーン等の技術的な開発、その上に構築される新たなサービス開発などあらゆるレイヤーで毎日のように事業が生み出されています。そのような過度の競争では、何が新しいのかわからなくなってしまうことがあります。かなりチャレンジングなことをしている業者もおおく、これが最先端の試みなのか、1週回ってオワコンなのか、だれも判別をつけることができないように思います。似たようなサービスも多いですからね。一生懸命先頭を走っているつもりでも、周回遅れでありながらデッドヒートしているだけかもしれないという疑念を抱きつつ勝負しているのです。Web3.0はAxieやSTEPENが火付け役となり、一部物好きの間でかなりの話題となりました。私もやっていたのですが、1日45分歩くだけで、5万円以上稼げていましたから、、、バブルっすね。半年くらいで1日数百円稼げるか稼げないかのサービスになってしまいましたが、、、それらの失敗をもとに、小さくチャレンジするものや、計算方式を変更しただけの亜種、BatやChatGPTで有名なOpenAIのWLDのようにより高次元での派生形が生まれてきています。
  例えば、WLDはとても面白いです。

  WLDのホワイトペーパー https://whitepaper.worldcoin.org/

  WLDは、一口に斬新です。Web3.0時代のアイデンティティとして、「虹彩」を活用しようとするムーブメントを巻き起こそうとしています。日本では割と都会にしかありませんが、Orbという近未来感を感じさせる筐体が各所に置いてあり、Orbを通じて利用者の虹彩データを取得します。こうした虹彩データは、Web3に起こりうるbotやなりすましの制御のために利用する機能として利活用されるとのことです。アイデンティティの確立があってはじめて、web3時代の個人の第二人格は初めて法的な主体性を帯びることが想起されるので、極めて有望なアイディアだと考えます。
  一方で、虹彩データがあれば、データの存在自体によって個人の存在自体が肯定されかつそのデータが特定の個人にとっての唯一無二性を持つものとして扱われるという前提では、虹彩データはかなりセンシティブな情報になるので、民間ではなく公が事業を実施する母体になりたがるだろうなとは思います。また、公が虹彩データではない方法で代替するリスクも大いにあると思います。実際に、何か国はWLDを否定していますね。
  仮にWLDのように民間で事業を実施するとしても、虹彩データを複製したり、唯一無二性を擬似的に作成できたりするなどセキュリティ面もシビアな問題です。私はなにもしていないのに、第三者によるいたずらで逮捕されてしまったみたいなことになりかねません。そのリスクが大きければ、第三者対抗要件を筆頭とした法的な枠組みが作ることが理屈上不可能になってしまいますからね。
  上記の2点は、WLDの存在意義を揺るがす問題ですが、こうした諸問題を解決できるなら、未来のGoogleMicrosoftAppleFacebookのように100兆円企業もありえなくはないです。

 - ちなみに、web3の一部の領域では「to earn」という側面があり、歩いたら儲かる、広告をクリックしたら儲かるなど、要は何かのタスクをこなしたり、役に立てば収益が配分されるという側面があるようです。Youtubeは広告事業なので、ずいぶん構造が違いますが、そこで儲けたい人にとっては同じことです。例えば、ボケてのような、大喜利サービスは、かなり相性がいいのではと思います。笑った人の数をいいねで示すとすれば、笑った数が多い人が稼げる仕組みをつくることですね。いっぱい笑わせた人は数百万、ちょっと笑わせた人は数万から数十万くらいなら、無理なく継続できそうな気がしています。ばずればサービス提供者は大金持ちです。うちはやりませんが、、、

 - 当社も、今上述したサービスを開発中ですが、失敗したら既存サービスのコストダウン程度の利益を享受し、成功すれば、数百億、数千億をそれだけで稼ぎ出すことと信じています。

  というわけで、頑張り度合い世界10%くらいに入れるように適度に頑張ります。  

自己中心性と他者

結論とその困難さ

聖書や哲学書という存在が、人類が「人間」というテーマを長らく思索してきた痕跡を教えてくれる。しかし現在においても「人間は人間を十分に理解できるようになった」というには程遠い状態だと感じている。読者はきっと、そのような分厚い書を読み耽りながら堀越二郎のように「私はいかに生きるべきか?」という問いについて考えることがあるかもしれない。繰り返し議論されてもなお結論の出ない「人間とは何か?」という抽象的な問いを、読者は「私とは何か?」という具体的な問いに差し替える。私はというと、前回のブログを読んでくれた方はわかるように、「あなたとは何か?」という問いに強い関心を持っている。同じ「人」を扱う問いにも関わらず、「人間とは何か?」と「私とは何か?」という問いが異なるように、「私とは何か」と「あなたとは何か?」という問いもまた別の問題なのである。

これから書く話は、限りなく具体的だが体系化することのできない「他者」についてである。「命日」では初めて作詩のようなことをしたが、私が経験した人生を超えるほど大切だと感じたものについて書いたつもりである。そして、前回の記事では、私にとっての、そのようなものは広義の「他者」の中にあるのではないかということを書いた。今回の記事では、「他者」のうちでも「人」という他律的なプロセスに身を委ねることによって直観的にわからないものにアプローチすることができるのではないかという仮説をたてて、色々なことを調べ考えてみたことを執筆してみる。

お題目は、他者が私に影響を与え、私もまた他者に影響を与え、それを繰り返しながら何かを生み出していくダイナミクスについて考えるという行為そのものを射程してみるということであり、ありふれた日常そのものを題材にしているが、あくまでも客体は他者であり、私ではない。冒頭で触れたように、「私とは何か」と「あなたとは何か?」という問いは別の問題なのだ。「あなたとは何か?」という問いに対して「私とは何か?」というアプローチを採用した場合、外部性について考えるときに直面する障壁のように、多くを取りこぼしてしまいかねない掬い取れなさという問題に直面する。「私とは何か?」という設問ならばいくらか楽かもしれないが、「あなたとは何か?」という設問に対して、上述の説を実践していく過程は、真っ暗な宇宙のどこかにいる小さな黒猫を手探りで探し出すような途方もない仕事のような気がしている。明晰さを得るには、おそらく数百年あるいは数万年の時間があっても足りないのかもしれないと感じるほどだ。
アプローチ方法以外にも困難さはある。私は馬鹿なので、考えることも認知できることも、私以上でも以下でもなく加えることも引くこともできないという点において、不完全な私自身の産物でしかないということは少なくとも理解しているつもりだ。そして、言葉には限度があるということを薄々感じている。スーザン・ソンタグは著書「キャンプについてのノート」において、説明しようとすればそれにまるごと裏切られるような名状しがたい感覚というもの、つまりキャンプに関して思索を行った。キャンプとは、例えば、ベン・ラーナーとはそういう作家だし、OMSBとはそういう歌手だし、私たちは納豆ご飯だと思って納豆ご飯を食べ、あなたの性格が好きだとか、気持ちがわかるとか、そういう感覚だ。「納豆ご飯は腐臭がして少し甘くて醤油をかけるとまろやかになる」といった一定の解釈や法則を当てはめる行為は、納豆の味が伝わってこないように、おそらく言葉では伝えきれない多くのことを意図せずにそぎ落としてしまっている。なので、そうした掬い取れなさ問題に直面した時に言葉自体の頼りなさを痛感して何もかもがわからないという気持ちになることがあるが、今の私には言葉を活用しなければ、他者について思考を深めることもままならないので、そういう意味でも難しい。例えば、風立ちぬを見た人が「二郎あるいは菜緒子は自分勝手だ」という感想を持つこともあるだろう。しかし、そのような視聴者自身の経験則によって彼と彼女の個別性を分析するというアプローチを採用した場合、前述した通り、また後述するヴェイユの「想像」でも触れるが、わかった気になったという満足感しか得られないように思う。二郎の行いについて、自己の想像によって「わからなさ」を補ったり、無闇に意味を与えすぎたりすることは、上述のキャンプの例と同様に客体に対する認識を歪めてしまうからだ。インフルエンサーが自殺したことについて、自殺寸前になるまでインフルエンサーとして追い詰められないことにはわからない一方で、わかったつもりになって、インフルエンサーに好き勝手誹謗中傷することだったり、会社のトラブルメーカーについて愚痴をこぼす営業に、総務部が「私は仲良くしてるよ」と言っているのに対して、営業が「一緒に働いてみればわかるよ」と言う感想を抱いたりするなど、対象に肉薄した当事者としての経験的な感覚は、外部と大きな隔たりによって区別されなければならないように思う。

そのように考えていくと「人のことを考える」という行為は、より一層難しく感じてくるが、それでも、ありのまま(完全性)をわかろうと注意する姿勢を持つよう心がけてみたいと思っている。そうした考えを突き詰めて、このような結論を設定してみた。

「大切なものを大切にするということは、他者に寄り添い、寄り添うだけでなく大局的に役に立つということ。つまり、自己充足ではなく、自己放棄の基準に倣いゆくことだと考えた。趣味を楽しんだりするように、気持ちを調整・制御する行為は別として、空白になった自己に代わって、生の根幹に広義の他者(参照:タイトル思いつかんけど学習してる)を実在的に(堀越二郎や菜穂子のように個別性を認識しつつも、完ぺきではないにしても想像力を働かせずに)投影させることができるならば、他者に対する犠牲や献身は何よりもまず行為客体自体にとってのたとえば自由を形成することができ、自己は確かに、リアルに自覚される。」

上述の結論と困難さを実践しようとすれば、行為客体の思考に現れる知覚や感情を通して把握されたものを思考に投影することを経ることによる手段以外では、「命日」で表現した「献身」は今回のテーマにとって無意味なものになる。つまり、道端に落ちている石ころのように断片的すぎる情報か、堀越二郎のような自己の充足(エゴ)でしかない。もっとかみ砕いていえば、上記の投影を経るということが、資本(資金、時間、精神...)を特定の対象に投下するという行為にはじめて意味を与えるのであり、一方で資本を単に投下する行為、例えば家族のために金を使うといった行為は、堀越二郎の「あなた、生きて」という二郎による二郎のための想像力に収斂されてしまう。風立ちぬの本庄曰く「シベリアの偽善」なのである。

まだ多くのことを実践できていない段階なので、これから修正を加えていく考えも多いだろうが、まずは上述の前提で、今回のテーマにとってとりわけ重要と思われるトピックとして、「他者が射程に入れたこと、彼方で起きてほしいと願った出来事をハックする方法」について考えてみたいと思う。

 

突発的な怒り
手始めに上述の結論で記載した「自己充足」について考えてみる。風立ちぬ堀越二郎は、上司の黒川から「君のは愛情ではなくエゴイズムではないのか」と指摘された。仮に二郎は内発的な動機付けで仕事、結婚、日々の営みをこなしているにすぎないのだとしたら、黒川のいう通り、二郎の行動に自己充足以上の意味を探し出すことは難しい。そうしたことを考えるために、エゴと愛情の間について揺れた現実のサンプルを参考にしたいとネット検索したところ、この事件に行きついた。加害者のことを考えてみても、被害者のことを考えてみても、ただ底なしに悲しい事件である。

1997年5月、奈良県にある月ヶ瀬村で、下校途中の中学2年生の女子生徒が行方不明となり、2か月後に同じ村に住む25歳の丘崎さんは逮捕された。その後しばらくして、伊賀上野市の郊外で白骨化した遺体が発見された。翌年奈良地裁は、丘崎さんに対して懲役18年の1審判決、しかし検察側がこれを不服として控訴。2年後に大阪高裁により無期懲役が言い渡された。弁護士は丘崎さんに対して上告をすすめたが彼はこれを拒否し、無期懲役が確定。2001年9月、彼は大分刑務所の独房で首をくくった。
当時の新聞を読むと、いたずら目的の誘拐殺人ではないかという見方が強かったようだ。一方で、新調45、彼の弁護団であった高野弁護士が執筆した記事に目を通すと、事件の別の一面を垣間見ることができる。青年の家族は、月ヶ瀬村に越してきてから事件までの約30年間「村入り」が認められることはなかった。被害者の祖父の手配によって、一家は村はずれの傾斜地にあるあばら屋に住み始めた。家賃は月1万円程度、冬には隙間風、室内にはネズミが走り回り、トイレはなかった。彼の弁護団の一人である高野弁護士によれば、一家の生計は両親の土木工事や日雇いによってたてられていて、極貧であった。両親はともに日本人と朝鮮人のハーフであり、内縁関係で不仲であり、父には愛人がおり、母は金だけを丘崎さんら子どもに与え、家にいることは少なかった。長女が料理し、それぞれが都合のいい時間に食事をとったという。

彼が小学三年生のころ、公民館で放火事件が起こった。そこで、丘崎さんが村人から疑われたのが事の発端だったのかもしれない。その事件によって、同級生の親の中には、彼とは付き合わないようにと子どもたちに言い始めるものもいた。それ以来、彼が河原で遊んでいるときには集落に住む人から石を投げられたり、地域の祭りのときに現金が紛失したり、ビニールハウスが燃えたりしたときに、その場にいなくても真っ先に彼が疑われてからというものの、誰とも遊ばずに家にいることが多くなった。中学2年生になってからはほとんど学校に行くことはなくなり、学校に行ったとしてもぽつんと一人で時間をつぶしており、友達はいなかった。卒業証書は同級生が自宅まで届けてくれたが、彼は翌日破り捨てて燃やした。私には想像の絶する思いだったのだろうと思う。想像力を働かせて、近しい経験を探してみても、彼に比べれば取るに足らない経験しかない。裁判で、地区住民と学校の先生は「そのような差別はなかった」と否定している。一方で、新潮社によるインタビューで村人の老人はこう答えている。「村の人間は、あの家族を明らかに見下しとるよ。年寄りが多いからどうしても古い体質がある。現に私自身も村の人間が、「朝鮮が!」って吐き捨てて蔑むのを見とるしね。」。
彼は中学卒業後に就職した。測量事務所、土木作業員、警備員、左官、飲食店など転々して落ち着きがない様子であったが、ドライブだけは大好きだった。数少ない心安らぐ時間だったのだろうか。お気に入りのドリカムやチャゲ&飛鳥を何度も流しながら車を乗り回していた。事件の二か月前にかった四輪駆動車の走行距離は、事件後に売却されるまでの間に5,300キロ走っていたという記録がある。

事件の記録によれば、5月2日彼は滋賀県内のソープに行き、5月3日の午前中に月ヶ瀬村に戻る途中で仮眠した。起床し、楽しい気持ちで車を運転していたところ、帰宅途中の被害者が歩いているのを見つけた。彼の供述によれば、被害者が小学生の頃はよく車に乗せることがあったし、自宅まではまだ距離があるから、家まで送ってあげようという気持ちが生じたという。しかし「家に送ってあげるから乗るか?」という彼の声掛けはむなしく、被害者は彼をちらっと見ただけで返事もせずに歩き続けた。幼いころには彼の車に乗り込んできた被害者が、ある時から他の地区住民と同様に彼をよそ者として見るようになった。彼は「俺をよそ者やと思ってるから無視しよる。返事もしやがらん。村の者は俺を嫌っている。この女も一緒や。」と思った。そうした落差に激昂し、パニックになった。時速30キロで被害者に近づき、衝突した。彼は、道に倒れた被害者に駆け寄り、被害者が荒い息をしていたので病院に連れて行こうとも考えたが、高野弁護士によれば「自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく、家族までが村に住めなくなる。」と考え、伊賀上野郊外の山中でビニールテープを使って絞殺しようとしたがうまくいかず、トイレ付近に転がっていた石で数回被害者の頭部を打ち付け絶命させたう上で、三重県上野市の山中に死体を遺棄した。その後彼は逮捕され、自白。彼は、自身や家族への差別があったことを供述しているが、刑事責任を軽くするための弁解や責任転嫁を弁護士に提案されても拒否し、検察の犯行動機に係る質疑に対して、自己を正当化しようという試みはなく、ただ心境を述べるのみであった。

2001年9月19日京都新聞奈良県月ケ瀬村の女子中学生殺害で、殺人などの罪で無期懲役が確定、大分刑務所で服役中の丘崎誠人受刑者(29)が自殺していたことが十九日、分かった。法務省矯正局によると、今月四日午後八時ごろ、丘崎受刑者が自分のランニングシャツを独居房の窓枠にかけて首をつっているのを巡回中の刑務官が発見し た。病院に運ばれたが、意識不明の状態が続き八日未明に死亡が確認された。遺書はなかった。刑務官の巡回は十五分に一回で、当時は就寝前の自由時間だった。」と報じられた。享年29歳。彼が自殺した19日は、被害者の月命日でもあった。

 

欠乏と占有
彼がどうして犯行に至ったのかについて、開発経済学に多大な貢献を残したSendhil Mullainathan(Chicago Booth)の考案したアプローチを通して検討してみる。ムッライナタンの研究成果は膨大であり、喫煙、運転免許取得、貧困等々多岐にわたるトピックを取り扱っているが、一貫して、金、時間、人間関係を資本として扱い、資本の欠乏が行為客体にどのような影響を与えるのかについて検討された成果物が多い。

私が読んだいくつかの文献において、ムッライナタンはことあるたびに「欠乏は人に多くの誤りをもたらすこと」を主張している。上述のわかった気になるという姿勢も欠乏が由来しているのではないだろうか。

欠乏とは、例えば、あなたが遅刻しそうな状況を想像してほしい。ベッドから飛び起き、洗面所に直行する。顔を洗いながら、歯ブラシは今日はよしておこうか、着替えはどうしようかなど同時並列的に試行しながらも手を動かし続けし最短時間で家を出るよう努めるだろう。頭の中で秒針の音が鳴っているのを感じながら、1分1秒に集中するはずだ。そういう状況では、心ここにあらずの状態になり、親から「宿題やったの?」と聞かれれば無視をするか、「後でやる」と答え、親の心配について熟慮することはない。ほかの例を考えてみよう、極めて多忙な人を遊びに誘った時に、誘われた人はどのように考えるだろうか。おそらく彼は、まずスケジュールが空いているかどうかを確認するだろう。それ自体は変わった行動ではないように思えるが、問題なのは、彼にとってその誘いが重要であるかどうかは後回しであり(考えないかもしれない)、主要な懸念事項は、時間があるのかないのかであるという点である。一方でお金がない人は、今月生活にいくらかかるだろうという計算を100円単位で行っているかもしれない。そのようなお金がない人を遊びに誘った時に、お金がない人にとって最も重要な問いは、誘いに使うお金があるかどうかであり、どうようにその資金使途が重要かどうかは後回しになる(もしくは考えすらしない)。先の事例の丘崎さんのように、人付き合いやコミュニケーション能力が劣っていると感じている人は、対人で緊張してしゃべることができなくなってしまったり、些細なことで感情が揺れ動いたりしてしまうのも同じように解釈することができる。堀越二郎にとっての菜緒子が自身の夢の拡充であったのと同様に、欠乏状態に陥っている人は、無意識にミリ秒円単位で物事を考える必要が生じてしまうので、中長期的な視野で判断することが億劫になってしまう。必要なことに、時間、お金、精神を自由に投下することが困難になるのだ。

ここでは、単純に細かな計算をしなければならない状態を欠乏と呼ぶとして、100円を使うべきか使わないべきかを考えている人は、豊かな人は直面しないであろうトレードオフに向き合う場面が増え、そのたびに難しい計算を必要とされる。多岐にわたるタスクを同時並列的に処理しようとすれば、バックグラウンドで多数のアプリを起動するパソコンのように処理能力は奪われ、時間に追われるだけではなく、行動の開始・抑制、衝動の抑制といった自己制御を行うことが難しくなり、単純な発想に手を付けてしまう。100円単位の計算に迫られている人について考えてみるために、奥さんや子どもが突然急病にかかって100万円が必要になる場面を想像してみよう。重要なことは、腕の良い医者と知り合うにはどうすればいいか、家族になるべく快適に過ごしてもらうにはどうすればいいのか等々の課題について熟考したうえで最善と思われる行動を早く選択するべきだが、欠乏状態に陥った人はまともに熟考できないかもしれない。100円に困っている人は資金をどう賄えばいいのかという問題に脳の処理や時間を多く使うことになるので、上記のような急いで決断しなければならない局面で、「借金」という単純な発想に行き着き、病院の特定などそれ以外の問題はどうでもよくなってしまうかもしれない。そのような難しい局面に陥る前に、より年収の高い職に就く準備をしたほうがいいし、医者を探すことに手を尽くしたほうが、突発的な家族の病気という事象に上手に向き合うことができるかもしれないが、欠乏状態に陥った人は、そうした検討事項自体に現実味を感じられずに、助言されたとしても心の底からリアルに感じることができない。将来の生活なんてもう考えるのも嫌だろう。なので、消費のための借金に抵抗感を感じにくくなったり、今よりも数十円だけ高い時給に魅了されてしまうかもしれない。中長期的にそのような欠乏から脱する方法についてしっかりと検討することができないので、失敗できる余地が少ない状況は続き、突発的な問題発生に、失敗するかどうかの選択を迫られる場面も多くなってしまう。結果として、他の重要なことに対する資本投下を後回しにする代わりに、日々の生活費のやりくりや新たな借入先を探し、隙間時間の活用、〇月〇日の返済への計算などより複雑度が増していく。目先の借金や100円の計算が、上記のような家族の病気への対応に対して役立つことはわかるが、結果的に長期的にどれほどのコストを生んでいるかまるで把握できないのだ。

こうした問題の深刻さは、欠乏状態に陥った人が意志の力で脱却することはほぼ不可能ということだ。根本的な原因は、お金、時間、人間関係といった資本レベルでの欠如ということではなく、欠乏状態に陥った結果、処理能力が落ちている中で、考えなければならないこと、かかわっていることが増え、足元の火消しばかりしているので複雑化することである。たとえ目の前に重要な課題が放置されていたとしても、緊急ではないならば後回し、緊急な問題を継接ぎ対応で優先する。問題について熟慮することができずに単純な発想で足元の火消しに終始した結果、さらに複雑度が増すというジャグリングを繰り返す。Mullainathanは欠乏状態になった人について「ほとんどの人は永遠に抜け出すことができない。」と言及している。

一方で、そのような細かな計算に対して注意を払い続けている人は、特定の分野で仕事や勉強に集中することができるので成果を出しやすいなどの一面にも触れている。例えば、仕事に追われている人があるプロジェクトに睡眠を惜しんで取り組むことは何となく理解しやすいかもしれない。一方で、欠乏に陥っていない豊かな人は、100円を稼ぐことに集中することができないし、100円が重要なふりをしたり、締め切りがあるふりをして自分をごまかしたりして、一生懸命に働くことができないのは想像に難くない。この記事の趣旨とは外れるので、欠乏状態のメリットはここではよしておく。

差別・貧困等劣悪な環境によって深い憎しみが心の奥底にある状態では、冷静になってみればさらっと流すことができるであろう処理が複雑化することがある。丘崎さんの例でいえば、とても短い瞬間に激昂状態に陥ってしまい、差別を思い出してしまうばかりか、差別に対する怒りが心を占拠した。結果として、冷静な状況下では手を付けないような行動を選択せざるをえなかった。外野から見ていれば、部落差別という根の深い問題を解決したり、貧困という状況下においても差別のない地域に引っ越すことはできただろうということを考えることができるが、差別を受けていても貧困が続いていても、家族が地区に住み続けることを優先するだけではなく、死体を遺棄するという選択以外考えられなかったのだ。彼が直面したような難しい局面を正確に描写できるはずもないが、怒りや憎しみといった感情が瞬間的に思考を占拠してしまえば、意思に反して何かを台無しにしてしまうという事例は、会社、家庭、友人関係などいたるところで散見される。

 

真空状態

そのような心の占拠問題について、シモーヌ・ヴェイユほど真剣に取り組んだ人を知らない。彼女の著作を読んでいると「試みられていることが失敗していても、むしろそれを受け入れる」という態度がいかに難しいかがよくわかる。ちなみに、ヴェイユと言えば、構造主義を学ぶときに避けては通れない人類学者レヴィ・ストロースの民族婚姻研究史を勉強したことがある人ならご存じだと思うが、レヴィ・ストロースの研究の数学的側面を支えたブルバキ創始者アンドレ・ヴェイユを思い浮かべた方も多いだろう。シモーヌ・ヴェイユアンドレ・ヴェイユの妹である。

1909年2月3日、ヴェイユはフランスの裕福な医師の家庭に生まれた。1914年第一次世界大戦が勃発してから、彼女の父は各戦地に召集され、母、兄、祖母とともに父の赴任地を転々とする生活を送っていた。1931年、彼女は大学教授試験に合格、ル・ピュイ女子高等中学校のリセの哲学学級教授に任命された。3年間勤めた後、学校に休暇願を出した彼女は、彼女自身の考えを実践するために、火花の飛び散る劣悪な鉄工所で勤務することになった。工場の灼熱や劣悪な空気、上司との関係性によって、肉体も精神もボロボロになりながら、後述するように恩寵を受け入れるための思索を深めていく。彼女は、そうした実践の過程で摂食障害により食事を拒否、後に栄養失調による心筋層の衰弱によって34歳という若さで第二次世界大戦中のイギリスで没するまでの間、「不可能な善」に取り組み続けた学者である。

彼女の著作を読んでいると、その思想は不幸そのものであるように感じる。まず、彼女の工場勤務等の活動自体はいずれも何らの目的を見出すことができないように思える。彼女から言わせれば、そのような目的を射程することも、そのために働くこともエネルギーの堕落ということなのだろうか。さらに、世俗的な欲求から切り離されたところで苦悩に満ちた生活を続ける彼女は、すがるべき神にすがることもない。苦痛に満ちた体験を通じて、精神状態は粉々に粉砕されてもなお「想像を交えずに、愛しようと努めること」を実践し続けた。拙いかもしれないが、彼女自身の言葉を交えながら、彼女が実践しようとしたことを表現すると以下のようになる。

「十字架につるされたイエスキリスト」を象徴するように、「人間の悪と希望のない状況」という不幸のただなかに身を置き、そうした状況において彼女自身のまがい物である想像力で不幸を和らげようとすれば、恩寵(神の恵み)が満ちてくる隙間を損なってしまう。つまり苦痛によって作り上げられた真空状態を恩寵以外のもので満たすことを拒絶し、保ち続けながらも(私は無になりながら)、ただあるはずのない希望(人は罪深いから希望を持つことはあり得ない)に極度に注意を向ける。そうした注意力によって、完全性をなしえない幻想のような想像力を拒否し続けて感じとることができるような実在性に対して、それを超えていくような神の超越性を、恩寵として捉え、自己の生に受け入れたいと願い続けた。

彼女は、「神は人間を創造することで、無へと退いた。」と述べている。その神の行為を愛だとして、献身的に神に倣うことこそが彼女の人生であったのではないだろうか。凄く困難な生き方ではあるが、心の占有についてストイックに取り組み続けた女性だったように思う。私には絶対神はいないので彼女とは注意を向ける客体が異なることを理解したうえで、「献身」を体現し続けた一人の強い女性の生き方を記した。

彼女の人生は、二郎の自己拡大との対比において「(恩寵を受け入れるための)自己放棄」にほかならない。

 

目標

ここまでの文章は理想的な有様について書いたが、これからどうするのかという具体的な施策の土壌でしかない。私は、正直に言えば、ヴェイユのようにわざわざ不幸になりたいとは思わないし、宗教や思想ももっていない。しかし、少なくとも他者について無理に想像したり、意味を与えすぎたりすることによって「わかった気になる」ことや、欠乏状態に陥って仕事だけを優先することを一旦やめて、その土壌で「他者が射程に入れたこと、彼方で起きてほしいと願った出来事」について射程していたいと願っている。

人が生きているうちは、将来に存在するかどうかすらもわからない希望が散発的に多産多死し続けているという気がする。そうした希望は、経験的に、大人になっても達成されない状態が続くと、どうしようもなく考えることをやめてしまうことと思う。BTSに惚れた女の子がいたとして、BTSと直接連絡を取る術を探るは少ないはずだし、連絡しようともしないだろう。それは冗談だとしても、私の部下たちはよく喧嘩する。お互いに私に愚痴ってくるのだが、本当はお互い許せるような段階になって受け入れたいという想いを持っていたとしても、近くにいるだけで怒りの感情が頭を駆け巡って、結果的に受け入れることができないということがあるようだ。最初はむかつくという些細な感情だったとしても、それを放置しておくと、取り返しのつかない敵対的関係が醸成されてしまうことすらある。また、新社会人なりたての時には大きな目標について考えることがあっても、忙しくて時間がなかったり、能力や機会に恵まれずに達成できないことが続けば、ロマンを思い描くことすらなくなってしまうかもしれない。最初は些細な諦めや憤りかもしれないが、あきらめてしまうパターンが積み重ねられて、あり続けていた想いを心の底から願うことはなくなるだろう。...1

もう一つ学んだことがある。想像力は大した動機づけにならないのだ。例えば、理想的な生活を実現したい人がいたとして、空虚な気分に浸っているときに、豊かさを目的に立ち上がることができるかというと、なかなか難しいのかもしれない。それよりもむしろ日常的で些細な衝動、例えば、睡眠や、友人との連絡、朝起きたときの窓から落ちてくる光や出先で見つけたおいしいものなど、何らかの外からのズレ感を知覚することによって、いつの間にか前向きに生きていけたりするということがあるように思う。逆にネガティブな事例で言えば、丘崎さんが犯行に至った直接的なきっかけもそのような類の衝動であったのかもしれない。社会的な集団に属していれば人間関係がうまくいかないこともあるだろうが、そういうときは意識的にそうしたズレ感を、人間関係に取り入れてみてはどうだろうか。...2

そういうことをざっくりとした行動レベルで表現してみれば、今回のテーマでもある「大切なものを大切にする」ということは、他者に寄り添い(2)、寄り添うだけでなく大局的に役に立つ(1)というなのだ。

これまでに少なくとも亡くなった人との約束は成し遂げることができたと思っている。亡くなった人の約束なんて個人的な矜持でしかないけれど、自信をもって顔向けできるようになったと思っている。また、詳細は言えないけれど、前職時代に大変お世話になった人、これから共に過ごす家族、友人、部下など大好きな人たちに少しでも献身的でありたい。

終わり

自己中心性と夢

これからの社会へのかかわり方を模索していたのだけど、どういう基準で生きていくべきかを決めなければ決定は不可能のように思えた。頭をガツンと殴られたような出来事があってから、いつもやっているよりもかなり大幅に、考え方や私生活、仕事に至るまで変化させなければならないと感じて、特に人について思索するようになったことがきっかけだ。

 

昔、宮崎駿の「風立ちぬ」という作品をみた。ある夜、木々に囲まれた邸宅の和室に敷かれた布団に、肺結核を患った菜穂子が横になっていた。主人公であり彼女の夫でもある堀越二郎はその横であぐらをかき、熱心に仕事に打ち込んでいた。菜穂子は具合が悪くて横になりながらも二郎に声をかけ、二郎は「きれいだよ」と返答するが、一瞥すらすることなく、飛行機の図面を描く手を止めることもない。作中における彼の生き方は一様に「うつくしい飛行機を設計する」ということに徹底して向けられていることが、こうしたシーンの連なりで表現されていた。続くシーンでは、肺結核に苦しむ菜穂子の横で、二郎が喫煙する映像が映し出される。喫煙自体は二人の間では了解されていたこととはいえ、多くの視聴者は、菜穂子が二郎にとって「都合のいい女」という印象を受けて不快に感じたようだ。こうした二郎の態度については、婚礼の仲人であり上司でもある黒川が「君のは愛情ではなくエゴイズムじゃないのか」と視聴者を代弁して批評していたが、相対する二郎は神妙な表情を浮かべただけで、葛藤するシーンは作中で描かれていない。

 

このような二郎の自己中心性は、前述したように夢をまっすぐに追い求める姿の一部として描かれていたように思う。例えば、妹の加代と笹取りにいくという約束をすっかり忘れてしまった二郎は、加代に叱責されることになるが、反省する素振りはごめんという謝罪のみで、次の約束を取り付けるわけでもなく、すぐに理想的な飛行機について思いを巡らせる。仕事の帰路で腹を空かせている子どもを見つけた二郎は、シベリアというカステラのような洋菓子を与えようとするが、子どもたちに拒否され、同僚の本庄に「偽善だ」と指摘されてしまう。本庄は「飛行機なぞを設計する予算があれば、日本中の飢えた子どもたちに菓子を食わせてやれるだろう」と続け、それに対して二郎は「矛盾だ」と反駁して見せるが、その後のシーンにおいてそうした議論が持ち出されることはなく、次のカットでは二人がドイツの最新鋭の飛行機を見学する場面が唐突として画面に映し出される。二郎の人生は、どこまで行ってもうつくしい飛行機をつくるためであり、他者が介在する余地はない。ラストシーンでは、目標を成し遂げたであろう二郎の夢に、すでに肺結核で亡くなってしまった菜穂子を登場させ、「あなた、生きて」というセリフを吐かせたうえで、涙し、一つの美しい思い出として昇華してしまう。そうした薄情さは、幼少期の二郎がいじめられている子どもを果敢に救ったり、自身の作る飛行機が殺戮のために生み出されることを十分に理解した上で設計に携わったりするなど道徳感を持ち合わせているという描写によって、殊更に強調されていると考える。

 

当時の僕は、多くの人が持ったであろう感想のように「二郎は素晴らしい飛行機を作ったかもしれないが、他者を真に愛することなどできなかった」というニヒリズムのような結論を導くことはなかった。二郎にとっての菜穂子が都合のいい女だと批判されているのと同様に、病弱な菜穂子にとっての二郎もまた都合のいい男だったのだから、二郎の配慮不足なところは指摘されてしかるべきだとしても、むしろ2人はいい関係だったのではないか、現実そんなもんじゃね?と思ったりしていた。今では、こうした視野の狭い考えは少し違うかもしれないなと思うし、映画の冒頭で二郎が八百屋の出っ歯のおやじとすれ違ったシーンに違和感を覚えることができるようになった。出っ歯で鋭い眼光をもつ親父は、映画の始まりできっとした表情で段差に座り込んでいた。おそらくさまざまな経験によって刻まれたであろう深い皺をさらに強調させるかのようなしかめっつらを浮かべていた。それほどまでに特徴的な風貌をした八百屋の親父を、二郎がまったく気に止めることもなく通り過ぎていくシーンを見て、思い返せば二郎と菜穂子の関係について感じたように、人間の夢や思考は完全に交わることのないのだろうということを理解するだけだった。それにもかかわらず映画の移りゆく激動に魅せられたり、挙げ句の果てには菜穂子の訃報に号泣したりして、知らず知らずのうちに、そのような矛盾をそっと頭の隅に追いやってしまっていた。こういう感じだったので、当時はサラリーマン人生の頂点を目指したいと奮闘しているだけで毎日が充実していたのだと思う。

 

今になって、色んな出来事があって、人も生命も自然も無意識もそれらを他者と呼ぶのであれば他者に欠いた思考ばかり行っていたのだということを自覚するようになった。それは、菜穂子や加代がかわいそうだという感情について考えてみるようになったというよりも(最初からかわいそうだとは思っていた)、たとえばタコに変身したとして、10本の手足で触れるものの味を知覚したり、局所的な造形を感じ取ることはできるようになったとしても、その情報を統合することはできないと言った方が近いかもしれない。つまり、目や鼻や口や脳といったあらゆる認知機能が、ある種リアルな世界を感知していながらも、それらは自身の経験則による認知であるだけで、本質的に他者を含んだ世界をしっかりと脳内に構築しようとしていないことに、恥ずかしながらこの年にして気づいたのだ。あるいは、思考がタコ化していたので、いわば「自律的に」二郎や菜穂子の自己中心性を理解した上で、彼らの感情について多少なりとも思いをめぐらせることはあったとしても、結論として「理解したつもりになってはならない」という考えに留まり、人を真正面から見ようとしてこなかっただけなのかもしれないが、どうなのだろうか。わからないけれど、 そうした心境の変化によって、相対的に自分が取り組むことに興味が薄くなり、完全とはいえないまでも、身近な人たちや物事に注意を向けることできるようになったのではないかと思う。なので、かつては魑魅魍魎集まる証券でトップティアに属していたいと考えて過ごしていたが、今はお世話になった人との関係が大切だ。そして、今後の計画を変えなければいけないと感じている。これからの大まかな目標については次のようにしたいと思う。

 

大切だと思うこと、大切にできるということ。事業、家族や友人、人生のバッファ、慈善について。

(つづく)

無理難題

無理難題わろた
うちの会社は運用アイディアとテクノロジーを通じて、莫大な利益を獲得することを目的にしている会社です。例えば、ブロックチェーン、マーカレスモーションキャプチャーVRで世界に挑んでみたり、運用資産(不動産や持ち株会社の持ち株)の投下資本に対する(レバはここでは考えない)収益性を5%→30%、40%と上げる策を施して、運用資産自体を売却したり、保有し続けたり、自社ファンドに入れたりしています。

なので、多くの社員は大体取り組んだこともないような無理難題にチャレンジしなければなりません。例えばジャンルは様々ですが、
1,10万円の賃料しか取れない部屋を30万円にするにはどうすればいいのか。
2,GasFeeを競合他社の1/10にまで押し下げるにはどうすればいいのか、
3,フィギュアスケートの採点に使っているマーカレスモーションキャプチャーの技術をスポーツに持ち込んで、世界中に普及するにはどうすればいいのか。

こうした問題を解決することができれば、株式や不動産といった資産価値は極めて大きく上昇します。不動産で月の稼ぎが20万円増えれば年間240万、都心5%だとすれば4800万円の資産価値上昇を見込むことができます。
実際にぼくらは1、2は成し遂げることができて、3はまだ3割程度の進捗ですがうまくいく気がしています。1は前提条件を揃える必要がありますが、例えば高級民泊×海外高給貸し(日本で買い、海外に売る)、ゴーストキッチン、ランドリー、有名キックボクシングジム、モンテッソーリ教育など多岐にわたる事業を行っています。2はレイヤーやプログラムを工夫するよりも「対象国を絞り当該国の法に準拠するプログラムとは何か」という問いかけによって作られたプログラムに達成することができました。3はスポーツ系の筐体は完成して国内向けに販売していましたが、アメリカ、韓国の大手から販売権が欲しいという依頼があり目下交渉中で、人員管理や製造ラインといった諸問題はありますがいいスタートを切っています。

 

そうしたチャレンジングな事業活動に取り組む社員の経歴やスキルセットは様々です。証券、不動産、医師、会計士、メディア、弁護士など多岐にわたる経歴を持った方々が毎日頑張ってくれていますが、業界特化の知識は持っていても、うちの会社ではなかなか通用しないという悩みを持つ社員が多くいることに気が付きました。結果として、いくら労働条件が良くても、周囲と比較して結果を出すことができなかった社員は自信をなくしてしまいます。社員が退職するととても悲しいですし、こんなにも可能性を模索できる会社はないと自負していますから、もったいないなと思うこともあります。

 


何も見えない真っ暗な部屋で、小さな黒猫を探し出すようなもの
どうすれば上述したようなバカっぽくてわけのわからない問題に回答することができるのか。誰も取り組んだことがない極めて難しい問題でも、間違いなくうまくいくはずだというアイディアを特定することさえできればなにも困らないはずです。

 

そのために必要なことは、洞察としか言いようがありません。例えば、ある飲食店の売上を3倍にしてくださいと部下に指示したときに、客数×一人当たりの単価という枠組みをブレークダウンして、客足を伸ばすためには?一人当たりの利益を増やすためには?という問いかけから施策を検討する方もいますが、場合にもよりますが、せいぜい現状に比して20-30%程度の改善しか見込めないことが多いように思います(適当)。営業マンならコールドコールを繰り返すかもしれませんね。一方で、「この店は人気だけど、みんななんで来るのだろうか?」なんて思いを巡らせながら、ロジックを組み立て行く人もいます。これは全く成果が出ないことも多いですが、神業的に多大な結果を生み出すこともあります。後者のケースでは成功の方程式というものはなく、散発的に起こりますが、そのためには、フレームワークから演繹するのではなく、スクラッチで一から事業を組み立てていくのだという姿勢が大事です。


社員に、成果に直結する業務に集中してほしいという想いから、事業を断捨離したり、フロント、バックオフィスを含めた非コア業務はすべてアウトソーシングしかつ場所を問わず管理できるようなツールを導入したりしましたが、そもそも暗中模索が苦手な社員が多いのも事実です。試しに、営業マンに取引先の民事再生案件を任せるなどのムチャぶりによって慣れてくれないものかと任せてみたことがありますが、うまく処理できずに病んでいったですね(泣)ごめんなさい。

では、めちゃくちゃいいアイディアを特定し回収まで持っていけるような洞察とは何でしょうか。個人的に以下のような項目の総合力だと思っています。
 ミクロに、バリュエーション、ロジックツリー、KPIロジ構築、ができるという作業
 マーケ、人事・総務・経理、戦略、財務、業界ナレッジを知っているという分野
 対人能力、情報収集、人脈、交渉、プロマネ、コンティジェンシー対応などジェネラルな領域展開
 地頭の良さ、体力、打ちのめされても戦い続けるしつこさといったゲームにありそうな能力

 

どのようなレイヤーにおいても一様に10段階中10の能力を身に着ける必要があると思います。うちの会社で一番うまくいっている人は、もともと大手IBDのアジアヘッドであり、ものすごく優秀な方ですが、どうしても成功させたい事業の課題は、最低でも50回は成功までの道筋を考え直すと言っていました。すごいね。。。社会学的に、フレームを作って当てはめてみたり、それを手放したりすることは、いい発見につながることがありますので、真似してみようと思います(



最後に
良いアイディアとは、資産の売却なのか、取りこぼしているマーケットの獲得なのか、停滞した社内のモチベなのか、担保余力により高いレバをかけることなのか、より高い収益を獲得するための機会への参入なのか、規模の経済が働くとわかっている事業の買収なのか、僕らの置かれた環境やタイミングによって異なりますが、どのフローにおいても、ありとあらゆる可能性を洗い出して、これならいけるというアイディアを特定し実行することができなければ、ぼくらの成功はないと思っています。そうした洞察がぼくらの唯一のサービス提供ですので、なんとかやりきりたいですねえ。

命日

 

あの頃のぼくは

不器用でまだらな木漏れ日を頬で感じながら

人生を超える一瞬を見つめていた

 

空に生命は消えたから

価値は隠されて

甘ったるい風が頬を過ぎていく

 

コーヒーを指先で支えながら

熱が和らぐのを待っていた

 

時が流れても熱はひかなかったから

そっと息を吹きかけた

 

ほのかな香気があやふやに立ち上り

落ちてくる陽光に渦巻きながら霧散した

 

人生は短く君のものだ

 

rest in peace

ポートフォリオの作り方

 BridgeWateのレイ・ダリオ「最も重要なことは資産配分戦略を持つこと」、Yale大学基金「投資成果の要因は資産配分が86%を占める」など、名だたる投資家たちが指摘する通り、資産配分は運用を行うにあたって極めて重要な要素です。

 

 そもそも、資産価格はなぜ上昇するのでしょうか。短期的にはテクニカル的要因、長期的にはファンダメンタルズが資産価格を形成します。投資戦略によって重要なファクターは異なるものなので、詳細は後述します。ファンダメンタルズのなかでも、とりわけ先進国の実質GDP成長率は今後どのような見通しでしょうか。国際通貨基金(IMF)によれば、2019年、2020年におけるグローバル経済成長率は、それぞれ3.5%、3.6%です。直近では英国を除くG7は潜在成長率以上の成長をする見込みです。また、英プライスウォーターハウスクーパースは、2042年までに世界のGDPは倍増する調査結果を出しています。

 

 資産価格の形成要因である、「世界の経済成長」は今後も続く見通しであるのにもかかわらず、負け越す投資家が続出しています。なぜでしょうか。理由は大きく二つに集約されると考えています。

 ① 個別リスクに晒されている

  • 「成長の見込まれる会社を持っている」:個別企業に投資している場合、投資先の業績が悪化すれば下落します。
  • 「複数のセクターの株式を幅広く所有している」:セクター・国に対するバランスをとっている場合でも、株式市場全体に連動します。
  • 国債と株式をバランスよく持っている」:ゴルディロック等など株式と国債が同じ方向に動いたり、リスク量に対するバランスが偏っているケースでは、株式の下落によってポートフォリオ全体が大きく下げる。
  • 「ハイパフォーマンスを継続する大学基金を真似している」:ハーバード大学やイェール大学のオルタナティブ戦略は往々にしてダウンサイドに弱く、キャッシュが潤沢である必要がある。

 

 ② 値動きが大きい。

  • リスク資産は往々にして値動きが大きいです。例えば、株式が20%下落した場合、25%上昇しなければ同じ期間で投資金額を取り戻すことはできません。また、こうした値動きは、ヘッジファンドの高速取引が増加して高まりやすい傾向です。

 

上記①②の状況に陥ってしまう背景には、偏った資産配分があることが多いです。また、偏った資産配分が発生してしまう背景には、まず、「どれだけ複雑なモデルを組んでも将来は読めないということを忘れていること」が挙げられます。実際に、あらゆる金融のテクノロジーを駆使して予測された金利は、ほとんど当たらないのにもかかわらず、「FRBは2019年に利上げを行わない」という中心的なシナリオに強い自信を持つ方も多くいます。そして、複数のシナリオを考慮せず過去のデータだけを参考にするなど、ポートフォリオの構築にとって大切なプロセスを省略してしまうことによる弊害が考えられます。

 

 ①②を避けるためには、適切なポートフォリオの構築プロセスを踏襲することが有効だと考えています。正しく分散投資を実行すれば、(A)リスク要因を分散させ、(B)値動きを抑えるという分散効果を発揮しながら、経済成長等によるリターンの確実性を高めることができるからです。

 

 具体的な(A)リスクの分散、(B)値動きの抑制といった分散効果を発揮させるコツは、ポートフォリオ資産を増やすよりも、値動きの向きが異なる資産を、値動きの大きさと比較しながら組み合わせることです。その値動きの方向性と大きさを表す代表的な指標は、それぞれ相関係数標準偏差です。

 

  • 相関係数は、資産の値動きの向きを表し、-1~1の間の数値をとります。複数の資産の値動きの「方向性」が同じならば相関係数が1、関連性がないならば0、逆に動くならば-1に近くなります。例えば、日本と先進国株式の相関係数は0.8です。世界株式バランスファンドに投資すれば分散投資の効果を期待できるのではないかといった話を聞くことがありますが、実際には分散しているつもりでも上記にあげた分散効果はあまり発揮できていません。相場全体によって先進国の株式が下がれば日本株式も同様に下げることが多いからです。一方で、日本株式と国債相関係数は-0.32ですから分散効果を期待できます。
  • 標準偏差は、資産の値動きの「大きさ」を表します。年率標準偏差国債2.1%、日本株式18.7%です。相対的に国債に対する日本株式の値動きが大きいということです。ですから、日本株式と国債を持てば十分なのかと問われればそうではありません。例えば、日本株式50:国債50の割合で投資すると、日本株式が下落したときに国債ではその下落を埋められるほどのリターンは埋めることができません。これが標準偏差です。

 

重要なことは、相関係数の小さな資産クラスを選び取り、標準偏差の大きさを比較しながら保有割合を調整することです。その結果として、別々の資産がお互いに値動きを相殺し合いながら、米中経済の成長を着実に刈り取っていくのです。

 

 分散投資によって、どの程度値動きが抑えられるでしょうか。分散投資のイメージは、複数資産の合成ポジションといったほうがわかりやすいでしょうか。例えば、日本株式50:金50という割合で投資した場合、 標準偏差はそれぞれ18.7%、17.2%ですので、標準偏差の平均は17.9%ですが、全体の標準偏差は13.9%まで低下します。日本株と金の標準偏差の平均よりも4%の値動きが抑えられるということです。これは、お互いの資産が、それぞれの値動きを相殺しているから発生する効果です。また、どれほどの値動きが抑えられるかは、資産クラス間の相関係数の低さによって決まります。ですから、グローバル株式などといって日本株と先進国株式など強い相関を持つ資産に投資した場合はあまり値動きが抑えられないということになります。なお、一般的な相関係数は過去のデータから計算されたものであるため、後述するように、リスクシナリオをもとに調整することが必要です。

 

 こうした考え方を突き詰めていくと、リスク許容度に対して、どれほどのリターンを得ることができるかという問いが最終目的地のように思えます。リスク許容度とは、投資の収益がどれほどマイナスになっても受け入れることができるのかを指す度合で、基準は5%程度です。そして、そのリスク許容度の範囲内で、リスク1%に対して得られるリターンを最大化する戦略を立てるのです。話を分かりやすくするため、「1%のリスクに対して、リターンを最大化する方法」を探ります。例えば、銀行とのお付き合いで、国債に全資産を投資する場合は、リターン1.7%、リスク2.0%ですので 1.7÷2=1リスクあたりのリターンは0.85%です。国債90:日本株10の場合は、リターン2.5%、リスク2.1%ですので、1リスクあたりのリターンは1.19%です。 後者の方が、投資効率としては優れているということです。全ての資産の組み合わせで、この数値を少しずつずらしながら最適な配分比率を決定します。



 上記を踏まえて、資産配分を決定するには、どのような手順をとればいいでしょうか。それは資産配分の種類によって異なりますが、大きく分けて3つあります。

 ① 戦術的資産配分

 ② 戦略的資産配分

 ③ ゴールに基づく資産配分

 

①戦術的資産配分は、6ヶ月など短期的な投資期間で、目標収益の獲得を狙います。相関係数を利用することはあまりなく、資産クラスの予測リスク・リターンを独立して計算してポジションを取ります。

②と③は相対的に長期的な投資期間で、目標収益の獲得を狙います。資産クラス間の標準偏差相関係数を考慮しながら、合成ポジションにおけるリスク・リターンのデータに基づいて分散を行います。②と③の違いは、後者は複数のタイムホライズン、運用目標、リスク、資金需要等を考慮に入れている点で、「個人はユニークで、それぞれ異なる」という視座に立っていることです。ほとんどの顧客は複数の目標を持っていたり、急に目標ができたり、古い目標が修正されたりするため、複数のタイムホライズンの中で、それぞれのリスク、資金の需要を持っているため、それに合わせて資産配分や商品の選定を調整します。どの資産配分の方法がいいのかについては、大幅な下落・アルファを創出できる等の局面や、投資家の目的・リスク許容度等によって異なるので一概に「これがベストである」とは言えませんが、顧客との信頼関係や要望に応じて、コア戦略として②と③を選び、大幅な下落局面においてサテライト的に①を実行することが多いです。



 具体的な手順です。基本的には、リスク許容度のもとで最大のリターンを目指します。そのために、投資手法に見合ったファクターを選定し、複数のリスクシナリオを検討したのちに資産配分等を決定します。

 

①目的の確認

 顧客に、やりたいことや今後訪れるプランについて確認します。多くの型は、ライフステージ毎に資金管理手法を変えたほうがいいかもしれません。やりたいことにキャッシュを使う予定があったり、年齢を重ねるにつれて大きなリスクを取ることができなくなったり、相続の準備を開始したりするなど、人それぞれお金を使う時期、投資スタンスなどが異なるからです。例えば、30代後半までは流動性を確保し、結婚や出産、教育、住宅の購入などの臨時出費の資金を確保ししつつも、貯蓄、積極的な運用等によって少しずつ老後への備えを行います。キャリアの後半では、流動性の確保もさることながら、積極的な運用によって老後への備えへと比重を移しつつ、少しづつ生保や組織確立等によって資産承継の準備をします。退職後は年齢ごとにより細かく設定します。まずは、生活や趣味の資金を中心に流動性の確保、安定的な運用による老後への備え、事業承継や生前贈与などの資産承継の準備を緻密に始めます。特に、争続や浪費人への相続をしたくない場合は、それを目的とした明確な準備が必要です。その他にも、年齢によるリスク許容度や資金需要の変化に応じて、定期預金の比率を高めたり、デュレーションの短い債券を保有したり、株式保有割合などを組み替えたりします。流動性の確保では、2年以内の資金は定期預金やMRF、5年以内の資金は低リスク低リターン、それ以上の資金はPFなどに充当することが多いです。異なるレイヤーですが、若い方は7年以上の投資期間を設定することが、投資効率の観点で優位に立つことができます。例えば、株式と債券を50:50で投資した場合、1年目の債券に対する株式の標準偏差が13.9%であることと比較して、7年目以降に債券に対する株式の標準偏差が7年目以降に1.8%程度に減少します。12%程度リスクを抑えることができることを意味します。リスク指標であるCVaR(期待ショートフォール)は、1年目の債券に対する株式の数値が-35.8%であることと比較して、7年目以降に債券に対する株式の数値は-5%程度に減少します。ですから、長期で運用できる資産があるケースでは、長期的なスパンに立った投資を推奨しています。たとえば、70代前半までは長期のタイムホライズンを念頭に株式比率を高めに設定し、70代中盤をめどに債券比率を高めていく手法が考えられます。

 

②リスク許容度の確認

 必ず、リスク許容度を超えない範囲でリターンを最大化する戦略を作ります。  

リスク許容度は、ポートフォリオ全体の標準偏差の目標で、最大でどの程度の損失を受け入れることができるかの度合いです。基本的なリスク5%から、年齢、ご家族、資産、年収や趣味などの項目からなくなってはならない金額や、経験、投資スタンス等を何度も確認しながら調整します。

リスク許容度が5%ならば、席分布上68%の確率でリターン-5%~10%に収まります。標準偏差を2倍にするとその区間で資産価格が落ち着く可能性は95.45%となり、リターンは-10%~15%になります。

 

③ファクターとそれに影響を与えうる重要課題の確認

 足元のニュース(重要課題)が、先進国の経済成長などのファクターにどのような影響を与えるのかということについて考えます。以下に記述するファクターは、資産価格に大きな影響を及ぼす項目です。

 

  • 戦術的資産配分では、比較的短い期間の投資ですので、テクニカル的な変数が重要なファクターとなります。例えば、モメンタム、クオリティ/グロース、バリュー、ボラティリティなどが当たります。
  • 戦略的/ゴールに基づく資産配分では、ファンダメンタルズが重要なファクターです。相対的に長い期間の投資であり、長期的に見ればファンダメンタルズがマーケットを形成するという原則は現状正しいです。基本的には、金利の上昇/低下、高成長/低成長に関する項目を中心にとしたファクターです。その内訳について、特に重要な項目を上げるならば、予想外のインフレ率の上昇、将来の不確実性、先進国の経済成長率、新興国の経済成長率、先進国のスプレッド(デフォルトリスクや需給)、新興国のスプレッド、為替(通貨を分散する場合、必要に応じてヘッジを利用することがあります。)、実質金利(中銀の政策)、コモディティ価格です。なお、「米国市場によって世界の株価は大きく決まるのだから、米ドルオンリーというポジションでいいのではないか」ということを聞きますが、これまでのマーケットではそれでよかったが、今後はわからないというスタンスです。

 

 戦略的/ゴールに基づく資産配分において、ポートフォリオとしての資産価格に対するファクターの寄与度は以下の通りです。難しく考えたくないという場合は、少なくとも米中を中心とした先進国経済の安定性を追っておくことが重要です。

  • 先進国の経済成長率:66%
  • 為替:18%
  • 先進国のスプレッド:10%
  • 実質金利の不確実性:9%
  • 新興国の経済成長率:2%
  • 新興国のスプレッド0%
  • 予想外のインフレ-10%

 

 上記のファクターが資産価格に大きな影響を与えます。では、ファクターは何によって決まるでしょうか。このファクターを上下させる要因は、米中貿易、FRBの金融政策や中国の景気刺激策などの重要課題です。そうした重要課題単体では、大きく資産価格が動くことは稀なケースですが、重要課題が組み合わさった結果として、予想を下回る経済成長率が見込まれる、資産価格は影響を受けます。重要課題の組み合わさりをリスクシナリオと呼びます。

※別のレベル感ですが、ゴルディロックや景気サイクル(5-7年)の大まか位置を掴むことも重要です。いつサイクルが転換するかはわかりませんが、大まかな位置を確認し、リセッションに備えることができるからです。なお、HPフィルターを利用して150年のトレンドを分析すると、短期的に転換点を予測できる人はほぼいない、中期ではまちまちであることがわかります。リセッションでさえ具体的な時期はほとんどの方が予測できないのです。ですから、シナリオは一つだけではなく、考えうる限りの数を検討します。

 

④複数のリスクシナリオの策定

資産配分を検討する前に、必ず複数のリスクシナリオを作ります。資産がどのようなリスクの上に横たわっているのかを理解することなく、相関係数標準偏差を使って資産配分を決定することは、重大な損失を招く恐れがあります。例えば、ゴルディロックが挙げられます。15/12月にFRBが1年間の利上げ停止を実施してから、株高=債券高の時代が続いていましたが、今年の1月にFRBやECBが利上げを始めたり量的緩和政策の終了を示唆している時には、徐々に逆相関になりました。過去のデータのみを使って、株と債券の相関性やリスクを割り出し配分比率を決定することは万能ではありません。そうした数値は必ず"将来"のシナリオを使って調整する必要があると考えます。

 

シナリオの位置付けとしては、重要課題(例えば米中貿易)→シナリオ(例えば米中貿易と金融政策の組み合わせ)→ファクター(例えば、予想以上の先進国の経済成長率の減退)→資産価格への影響です。複数シナリオとは、ベースシナリオを中心として、悪いシナリオ、良いシナリオなどを仮説的に作っていきます。リスクシナリオのいくつかは、別の記事「ポジション管理」に記載したので、ご覧いただけますと幸いです。

 

⑤リスクシナリオの経済・資産価格に対する影響の評価

リスクシナリオがマーケット・資産価格へどういう影響を与えるか考えます。経済成長率やインフレ率などのファクターによって、資産価格等に対するベータを調べます。資産価格等とは、例えば、平均リターン、標準偏差相関係数、CVaR(下方リスク)等を含みます。リスクシナリオごとに、データの期間やファクターの種類を変えながら、テストしてみます。

 

 ここでは単純に、ファクター(インフレ率)と標準偏差のみを使って、TIPSの配分比率を導出してみます。少し長くなるので、データプロットと結果だけを表示します。例えば、米国のインフレ率と標準偏差があったとします。

 

 単純な事例ですが、インフレ率とTIPSのリターンの標準偏差のみを使って、TIPSをどの程度組み入れたらいいのか検討します。

  • インフレ率:2.15%(98-17)、標準偏差:1.01%(98-17)→ 0%
  • インフレ率:2.15%(98-17)、標準偏差:3.03%(70-17)→13%
  • インフレ率:4.04%(26-17)、標準偏差:2.15%(26-17)→36%

 

 2020年かそれ以降か転換点はわかりませんが、リセッション入りが懸念されているので、景気後退前の期間、後退後の期間の短期、中長期のデータを使って分析することもあります。

また、上記の標準偏差の元となるデータは簡易的に税金控除前のリターンを使っていますが、各種コスト(手数料、信託報酬、税金、デフォルトリスクなど)を差し引いた正味のリターン/リスクで計算することを推奨します。商品によっては大きな差異が生まれてしまうからです。米国の地方債は税金がかかりませんが、国債社債は一般的にキャピタルゲイン20%、クーポンに37%の税金がかかるので大きな成果の差が発生します。また、デフォルトリスク等を期待リターンから差し引くことも正確な計算のためには必要です。

 

ポートフォリオ(仮)決定

前項目までのデータを使って、リスク許容度を超えないように資産配分を決定します。ポートフォリオ全体の標準偏差が、リスク許容度に近くなるようにポートフォリオを組むのですが、この時に年率リターン、CVaR、最大ドローダウン、シャープレシオソルティノレシオ、流動性等々を確認しながら、最良な資産配分を決定していきます。

ご参考までに、上記までのデータを使った抽出された基本ポートフォリオの事例です。

 

  • 流動性:2%
  • 米投資適格(国債、TIPS 社債):40%
  • 先進国HY:5%
  • 先進国株式:27%
  • 新興国株式:5%
  • 世界不動産:3%
  • 世界インフラ:3%
  • 資源:5%
  • HF:10% ※生保ファンドならば24%も可能

 

⑦どの時点でジョインするか

 ドル・コスト平均法の優位性はあると考えます。しかし、よく運用会社で推奨されている「毎月積み立て」は、工夫の余地が残されています。毎月積み立てによって、景気サイクルの位置に関わらず、毎月という間隔で資本投下すると、上昇トレンドでは平均単価を上げてしまうというリスクがあります。また、現在から、ドル•コスト平均法の効果が発揮されやすい急落局面〜上昇に転じるまでの間、投資を継続できるほどキャッシュが潤沢であるかという点が重要になります。

 ですから、ポートフォリオの組成期間、一回あたりの投資金額、投資間隔は重要なポイントです。過去の景気サイクルの終盤局面を分析すると、3月から投資を始めるならば、約2.7ヶ月毎に、総投資額の5%(最後の複数回は10%)ずつ投下して行き、4-5年程度かけてポートフォリオが完成するイメージです。UBSのレポートで、機関投資家が予想するリセッション入りは2020-2021の期間で75%でしたが、上記の間隔で投資を続ければ2024年までに急落局面が来れば購入単価が極めて安くなります。急落後は二番底を警戒しながら、通常中銀による金融緩和によって上がり始めるのでしばらくの間は資本投下を継続します。また、商品毎にエントリー期は変えてもいいかもしれません。例えば、クレジット関連は格下げやスプレッドの反転に備えて、高格付かつ短いデュレーションから手をつけたり、小型やHYなど流動性の低い商品は様子を見てもいいかもしれません。

 

⑨運用対応

 主に、以下の対応が挙げられます。

  • 相対的に上がったものを売り、下がったものを買うことによって、資産配分比率を維持します。
  • 戦術的資産配分を組み入れて、バーゲンハンティングのような機会があれば拾います。また、企業業績が落ちて、株式マーケットでリターンが取りにくくなる局面では、資産配分を組み替えたり、アルファを狙う短期的な売買を行います。しかし、昨今から続く量的金融緩和でアルファが創出される機会も減少しています。金融緩和→低金利ボラティリティの低下→価格変動の差分が縮小するという流れです。しかし、今後はこれまでとは異なるかもしれません。現状ドットチャート上では0回の利上げですが、量的金融緩和の縮小でアルファの創出機会が増えるかもしれません。
  • 経済/金融のページを執筆しますが、各種指標をチェックしながらリスクシナリオ・資産配分を調整します。短期で変わることはまれなので、四半期に一回という感じでしょうか。一例ですが、
  • 重要な指標と考えられるものは、すべてチェックします。
  • 2-10年のイールドカーブFOMCの誘導目標と市場の折り込み度合い(先物など)、政策金利と同じくらい長期金利は上がるか検討
  • 失業保険新規申請者数(3ヶ月先行)、失業率、雇用者数/非正規社員(経営者の見通し)と比較しながら、大きくマイナスになったら注意
  • PMI、特に米国のISM製造業は24mくらい先行、ドイツZEW期待指数、現状指数
  • 単位あたりの労働コスト(非農業部門は30Q先行)が上がれば、消費者信頼感、コアCPIも上がりやすく、FRBの金融政策にも影響
  • 原油先物
  • コンテイジョンは調整前に起きやすいので、トルコ、イタリア、アルゼンチンなど脆弱な国や、インドネシア、マレーシア、ポーランドなどの経常収支が悪い国を観察。こうした国々はUS Liborのスプレッドが上がるとドル調達が難しくなるので、世界経済に先行して落ちることがあります。いくら金利が高いとは言え、物価が急激に上昇してしまえば為替は上がりにくなります。
  • クレジットは、デフォルト率とデュレーション(50年程度の変化)を追います。昨今の金融政策によってGDPを上回るほどに起債が増えていて、一方で資金した資金の多くは自社株買いに費やされています。多額の起債は高い利回りが正当化しているようですが、利上げ局面では生産性との兼ね合いでは一つのイベントになりかねません。

  

レバレッジデリバティブは別の記事で執筆しようと考えています。

※資産のリターン・リスクのデータは過去のものですので、現在と過去の違いからデータを検証し直す必要があります。例えば、新興国債市場は非常に大きな市場規模で、ある程度低いリスクで高いリターンを獲得することができました。しかし、先進国の財政悪化によって信用リスクが増大し、先進国の成長率低下による利回りの低下もあいまって、先進国国債のリスクは大きくなって来たのにも関わらず、利回りは8→2%と数十年前と比較して悪化してしまいました。